『自分と戦わない。他人と戦わない』


 

 

私たちが “ 自分と戦おうとする ” 動機は主に二つあります。

 

 

一つは、自分を傷つけたいという自虐意識。 

 

破滅願望とでもいいましょうか、自分のことを無条件で愛せないためにこうなります。 

 

 

もう一つは“ 自分を向上させたい ”という願望です。 

 

多くの人がポジティブな意味で「自分と戦う」と言ったりしますね。 

 

 

亡くなった歌手の美空ひばりさんが生前「昨日の己(我)に今日は勝つ」という言葉を座右の銘にされていたのは有名な話です。 

 

不世出の天才と言われ続けた大歌手であってもつねに努力を怠らなかった人です。 

 

 

 

 

ここから先の話は屁理屈のように聞こえるかもしれませんが、あえてスピリチュアルな視点でお話します。

 

 

 

『神』は「神の子」としてスピリットをつくりました。 

そして、そのスピリットの中に、『神』と同じマインドをつくりました。 

 

私たちはその「神の子」であり、スピリットであり、マインドです。

 

それが私たちの本当の姿であり、『本当の自分』です。

 

 

『神』はたった一つのスピリット、たった一つのマインドだけを創造しました。

 

全宇宙の生命の数だけ創造したわけではありません。 

 

たった一つだけです。

 

そのたった一つのマインドは、一つの誤解をしました。

 

 

『神』から切り離されたと思い込み、そのショックから「たくさんの生命体に分離する」という夢を見始めたのです。 

 

でも実際にそんな事実はなく、

 

今も『本当の私たち』は『神』と一体で、『神の世界』にいます。

 

 

 

『本当の自分』は誰とも戦いません。

 

なぜならすべては一つしかないからです。 

 

 

この世界は【分離】をキーワードにしてつくられた幻想の世界です。

 

たった一つのマインドが見ている夢の世界です。

 

 

 

私たちはこの夢の世界にいるあいだは「すべてが分離している」と信じています。

 

分離していることがあたりまえだと思っています。 

 

 

だから他人と対立します。

 

自分が「こんなふうになりたくない」と思う人、 

 

自分の中で嫌悪している部分によく似た人を見つけたとき、

 

あなたはその人を【敵】として認識します。 

 

 

その人と対立します。 

 

心が葛藤します。 

 

ときには物理的に戦います。 

 

 

そして、同じようにマインドの中では戦っているのだけど、それを表には出さず、相手と物理的に対立しない場合もあります。

 

それは相手との摩擦を避けたいためや、 

 

「私の中にそんな感情はない」

 

と自分の本当の気持ちをごまかすためだったりします。 

 

 

そういう場合、最後はどうなるかというと、 

相手と対立する代わりに「自分と対立」するようになります。 

 

 

 

 

【自分と戦う】ということは、【自分を二つに分ける】ということです。

 

 

 

自分を二つに分けて、どちらかを敵、どちらかを味方にして戦うわけです。

 

 

 

自分を二つに分けるなんて本当にできるでしょうか? 

 

肉体でたとえるなら、体を二つに分けようとしたら痛みでのたうち回ることになりますね。 

 

 

 

当然です。 

 

 

 

では自分のマインドなら二つに分けられるでしょうか?

 

私たちはマインドなら分けられると信じています。

 

「昨日の自分」と「今日の自分」を分けられると思っています。

 

「理想的な自分」と「それには程遠い自分」。

 

そうやって自分自身を二つに分けられると感覚的に信じています。

  

 

でも『本当の私たち』はすべてが一つの存在です。 

『本当の私たち』は、一つのものを二つに分けるという概念すらありません。 

 

 

自分自身を分けるという概念、 

 

自分が自分と対立するという概念なんかまったくないのです。  

 

 

何が言いたいのかというと、 

 

本来分けられるはずのないものを分けようとするから、人は葛藤や苦しみを感じるということです。 

 

 

『本来の私たち』が持っていない概念を信じようとすると、 

 

『本当の自分』は「それは違うよ」「それはできないよ」と否定します。

 

その矛盾、そのギャップで苦しみが生まれるのです。

 

 

 

自分自身と戦って苦しまない人は一人もいません。

 

戦う相手が他人であっても、やはり苦しみます。

 

 

 

 

動機はポジティブだろうとネガティブだろうと同じなのです。

 

相手が自分であっても、相手が他人であっても、 

 

「戦おう」とする時点で苦しむことは決まっているのです。 

 

 

 

 

「なりたい理想の自分がある」 

 

 

それはいいのです。全然かまいません。

 

 

 

【引き寄せの法則】を使うのであれば、なりたい自分があるなら、 

 

その理想の自分にすでになれた自分をイメージし、そこに意識を集中すればいいだけです。

 

 

ただなりたい自分のイメージにエネルギーを向け、 

 

すでにそれが叶っているとイメージし、実際にそうなったかのようにふるまう、行動してみる。 

 

 

いちいち【昨日までの自分】と【理想の自分】を戦わせる必要はありません。

 

 

【昨日までの自分】、【嫌悪している自分】に意識を向けた途端、あなたはネガティブな感情を抱きます。

 

 

「できない自分」、「なれない自分」を責め始めます。

 

 

自分で自分を攻撃し始めます。

 

そして苦しみの渦にのみ込まれていきます。

 

 

 

理想に向かって努力を続けるのは素晴らしいことです。 

 

自分の中にある可能性を試すことは素晴らしいです。どんどんやってください。 

 

 

 

けれど『努力する』ということと、

 

「自分を責める」「自分を敵にして戦う」ことは同じじゃないのです。 

 

 

 

私たちはこれを無意識にくり返します。 

 

【分離】というキーワードをもとにつくってしまったこの世界のルールに縛られ続けているのです。 

 

 

 

【昨日までの自分】と戦って、そのあげく勝利して、理想の自分になれたとします。 

 

でもきっと次の日には、

 

また次の理想のために、 

 

理想に到達したはずの自分を敵にして戦い始めるでしょう。 

 

 

 

【今日の自分】から見て、【昨日までの自分】はいったいどこにいるのでしょう?

 

 

【昨日】にいるのでしょうか?

 

 

ならば【昨日】とはいったいどこにあるのでしょう?

 

 

あなたの目の前に今あるものは、あくまでも【今、ココ】でしかないのではないでしょうか。

 

 

【今、ココ】にあるものは、

 

【今この瞬間の自分】であって、

 

【昨日までの自分】なんてどこにもいないのではないでしょうか。

 

 

 

【昨日までの自分】なんてすでに幻ではないのでしょうか。

 

 

 

 

 

本当に“敵”を設定することは必要でしょうか? 

 

本当に“戦い”は必要でしょうか? 

 

今の自分を無条件に愛し、 

 

今の自分を無条件に褒め称え、 

 

そのうえでさらに理想に向かって、 

 

さらなる喜び、さらなる幸せを感じるために努力を重ねてゆく……

 

 

 

これじゃ、ダメですか?

 

 

 

こんな方法でもいいのです。 

 

 

 

【昨日までの自分】を否定するところからスタートするんじゃなく、

 

【昨日までの自分】が何であれ、

 

まずは【昨日までの自分】を無条件で褒めるところから始めてみてはどうでしょうか。

 

 

 

 

【昨日までの自分】がどんなにあなたの理想と遠い存在だったとしても、

 

【昨日までのあなた】は、あなたなりに、精いっぱい何かにぶつかったり悩んだりしながら、

 

あなたなりの方法で、大切なことを学び続けてきたはずです。

 

 

 

 

なぜ、そうしてきた自分を褒めてやらないのでしょう?

 

自分のことを心から褒めることができない人は、 

 

他人のことも心から褒めることはできません。

 

 

 

 

自分にできないことをしている人は賞賛に値するけれど、それ以外の人はどこか自分より低く見てしまったりします。

 

 

他人に厳しくなります。 

 

それは常日頃、自分自身に厳しすぎるからです。 

 

 

 

 

本当の私たちは『完全な神』から生まれた『完全な神の子』です。 

 

何も足りないものなどありません。

 

克服すべき欠点など何一つないのが『本当の私たち』です。

 

 

 

私たちは「克服しなければいけないことがたくさんある」という夢を見ているだけなのです。

 

それを知っていれば、理想に届かない自分を責めるなんて馬鹿げています。

 

 

 

『神』はあなたを責めたことなどただの一度もありません。

  

 

『本当のあなた』も自分自身を責めたことなどありません。 

 

 

 

 

 

自分自身を責め、 

 

 

自分自身に戦いを挑むのは、 

 

 

夢の中で生きる肉体の私たちだけなのです。