僕はよく「自分や人と戦わないでください」と言ったりするのですが、
これは誤解されやすいだろうなと思っています。
極力気をつけて書いてはいるのですが、「競う」「戦う」ってことは何なのか、
あらためてスピリチュアルな視点でお話ししてみようと思います。
私たちが敵味方に分かれて戦ったり、
誰かが戦う姿を見て興奮したりするのは(ゲーム、映画、スポーツetc…)、
マインドが【分離】を信じている証拠です。
バーチャルな世界であっても同じです。
(この世界そのものがバーチャルみたいなものですが)
分離意識が強ければ強いほど【勝ち負け】にこだわるようになります。
すべてが一つであることを実感し始めると、
だんだん[競争すること]そのものに対して興味が薄れてきます。
自分自身が誰かと競うこと、
順位にこだわること、
戦っているどちらか一方を味方すること、
分離意識が薄れるごとに、そういったことにだんだん興味が薄れていきます。
「戦争みたいに実際に殺し合うもの」と「ゲームの世界」は別でしょと思うでしょう。
ビジネスや、試験や、スポーツで「競ったり」「戦ったり」するのはいけないの?
と思うでしょう。
ビジネスでも、試験でも、スポーツでも、多くの場合、
「自分の可能性を試したい」とか「自分を高めたい」という向上心が動機になっているはずです。
だから「戦わないで」と言ったら、
「そういうことさえしちゃいけないの?」と疑問に思うでしょう。
大切なことは、
あなたが「何をするのか」ではなく、
【それをどんな動機でするのか】
【それをしているとき、どんなことを感じているのか】
その二点です。
ビジネスやスポーツでライバルと競ったって、
試験合格のためにがんばったって、それはかまいません。
ただそれをするときに、
それをしようとする自分は、『どれだけ本当の自分らしいか』
それをしているときの自分は、『どれだけ幸せを感じているか』
この二つを基準にして、自分のしていることを確認してほしいのです。
あなたが誰かと[競争]しなくちゃいけないとき、
あるいは[競争]したいなと思うとき、
大事なのはその動機です。
「少しでも他人より上に行かないと自分の存在意義がなくなる」とか、
「この世界では他人と競わないと生き残れない」とか、
そういう【不安】や【優越感・劣等感】が動機になっているのだとしたら、
それはエゴ(フィジカルマインド)に従っているのであり、
『本来のあなた(ハイヤーマインド)』ではありません。
誰かと「競おう」としないでください。
これは職業を変えろとか、
試合をするなとか、
試験を受けるなとか、
そういう意味じゃありません。
競おうとするときの『意識の持ち方』のことを言っています。
たとえば野球好きな少年がいるとします。
その少年が最初に野球というものを知ったときはどんな気持ちだったでしょう?
最初は、ただボールを遠くに投げることが楽しかったのかもしれません。
最初は、ただバットにボールを当てることが嬉しかったのかもしれません。
最初は、ただ塁から塁に全力で走ることが喜びだったのかもしれません。
それがいつしか、
「どうせやるなら勝たなければダメだ」
「やるからには勝たなくちゃ意味がない」
と考えるようになったりします。
最初は野球をすることそのものが『喜び』だったはずが、
だんだん相手に「勝つこと」「相手より上にいくこと」に執着し、
【試合に勝つことそのものが野球をする目的】になってしまうかもしれません。
何が言いたいのかというと……
あなたがどんなに勝ち続けることができたとしても、
それであなたが幸せになるわけではないということです。
もし勝負に勝つことであなたが【幸せ】になれるのだとしたら、
あなたは勝負に負けると【不幸】になることになります。
スピリチュアルな視点に立てば、勝者と敗者に優劣はありません。
すべては一つですから。
「他者がいる」のは幻想ですから。
存在するのは常に自分と『神』だけです。
勝ち負けは、どちらも同じだけの価値があります。
勝っても負けても、
自分自身がその経験から何かを学べると気づけば、すべての経験は等価値になります。
何かの結果というものは、それ自体に特別な意味はないのです。
意味はあとから自分でつくるのです。
大切なのは結果そのものではなく、
それを自分がどう捉えるか、【それと向き合う心の姿勢】なのです。
くり返します。
野球好きな少年が最初にボールやバットに興味をもったとき、勝ち負けはどうでもよかったはずです。
ただボールを遠くに投げたり、誰かとキャッチボールするのが楽しかっただけかもしれません。
『本当のあなた』はこの世界にいません。
ここにいる肉体のあなたは、
『本当の私たち』が見ている夢の中でつくられた登場人物にすぎません。
しかし、あなたの意識、あなたのマインドは実在しています。
ただそれらは肉体の中で何かを考えたり思ったりしているわけではなく、
肉体の外側に存在してこの夢の世界を見つめているだけです。
『本当のあなた』は『完全な神』と共に永遠の安らぎの中にいます。
そこには「勝ち負け」という概念は存在しません。
そもそも『すべてが一つ』の世界ですから競う相手などいません。
自分を二つに分けることもないし、その必要もありません。
『本当の私たち』は、初めから自己が確立され、保障されています。
神から生まれた『神の子』、それが私たちの自己です。
それ以外に私たちの自己は存在しません。
自らの自己を確立するために戦う必要はありません。
『本当のあなた』は、神に100%無条件で愛されているのに、いったい誰に認めてもらう必要があるのでしょうか?
勝っても負けても、戦う相手に感謝してください。
あなたが「勝つ」という経験をするためには、
「負ける」という経験をしてくれる相手が必要です。
だから「負け役」になってくれた相手に感謝してください。
あなたが「負け役」になったなら、勝った相手に感謝してください。
野球は一人ではできません。
チームメイトだけでもできません。
相手チームがいて、初めて野球は成立します。
野球をする機会を与えてくれた相手に感謝しましょう。
感謝は【愛】と同じエネルギーです。
この宇宙でもっとも強いエネルギーです。
あなたは相手チームと競いながら、相手チームに【愛】を送るのです。
あなたが相手チームに【愛】を向ければ、あなたに返ってくるものも【愛】です。
勝負に勝っても、
勝負に負けても、
あなたにも相手にも【愛】だけが残ります。
私たちは本当は一つです。
目の前の戦う相手は『あなた自身』です。
隣のレーンで走っているのは、本当はあなたです。
隣の席で試験を受けているのは、あなたの分身です。
さらにこんな話はどうでしょう。
スポーツの試合中、
【今ココにいる自分】にすべてを集中し、
試合をめいいっぱい楽しんで面白がって、
ある瞬間、とてもエクスタシーを感じて、
その瞬間、勝ち負けのことはすっかり忘れていて、
気づいたら試合が終わっていて、自分が勝利していた。
こんなことがあり得るのです。
あるいは、同じように試合中にエクスタシーを感じ、
勝ち負けを忘れていたけれど、試合には負けてしまった。
けれど不思議と負けた悔しさはなく、充実感だけが残っている。
こういうこともあり得るのです。
こういう体験をするとき、その人は『誰とも戦っていない』のです。
相手チームはもちろん、『自分自身とも戦っていない』のです。
この意味がわかりますか?
試合中のわずかな時間に感じたエクスタシーが、
やがて10分間になり、1時間になり、1日になり、
その感覚がどんどん続いて、24時間、365日続いていく…
神と共にいる『本当のあなた』ってそんな感覚の中で生きています。
絶えまなく【興奮とやすらぎ】を同時に感じてます。
ときどきエクスタシーを感じるのではなく、エクスタシーの渦の中で生きています。
その感覚が『本当のあなた』です。
この世界は幻想です。
本当は、誰も勝ってはいないのです。
本当は、誰も負けてはいないのです。
表面上は競っているとしても、
『相手と共に最高の喜びをつくりだそう』と意識を変えてみてはどうでしょう。
競う相手を、
『喜びの体験を共につくりだす同志』として見てはどうでしょう。
あなたが心から喜びに浸っているとき、あなたは『本当の自分』を思い出すでしょう。
そのとき、戦っている相手もまた『本当の自分』を思い出すでしょう。
あなたにとっての『本当の喜び』を感じてください。
『本当の喜び』が『本当の自分』を思い出すことにつながります。
それがあなたの『本当の幸せ』です。
それがあなたの【本当の勝利】です。