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説明する内容は『神の子』の投影 ① と同じですが、違う図を使って説明していきます。
違うパターンの説明を見てあなたなりに理解を深めていってもらえると嬉しいです。
まず全体図です。
『神』と『神の子』の構図は同じですね。
【自我(エゴ)】を黒い丸で表しています。
自我は『神』の中にはなく、『神』は創造していませんので、この自我は一時的に出現した陽炎のようなものです。
その自我は、
『自らの外側に『神』が造らないものを造った』という前提で宇宙という夢を投影しましたが、
自我は宇宙を幻想ではなく現実だと信じています。
この宇宙には物質世界と非物質世界が存在します。
物質世界と非物質世界は厳密に二つに分けられるものではなく、実際はいくつもの次元があり、複雑に階層化されているのですが、ここではわかりやすく二つに分けています。
基本的に非物質世界の方が物質世界より波動が高く、より実在の世界(神と神の子の世界)を色濃く反映していますが、
それでも実在しない夢の中であることに変わりはありません。
私たちはこの夢の中で、さまざまな時代に、さまざまな場所に、さまざまな形態で、繰り返し何度も生まれ変わるという体験をしていますが、実際はすべては同時に存在しており、時系列で並べた時にだけ過去世や来世といった分類をすることができます。
時系列で直線的に見た場合、物質世界の私たちが死ぬと非物質世界に移行し、また物質世界に移行している(生まれてくる)ように見えます。
あるいは過去世で物質世界で生き、次の来世では非物質世界で肉体を持たずに生きたりするようにも見えます。
でも実際は、物質世界と非物質世界を行ったりきたりしているという夢を見ているだけなのです。
これは前回の説明と同じく、それぞれの『神の子』が【分離という夢】を完全に終わらせるまでは、この夢の部分でぐるぐる回り続ける(そんなふうに見える)というようになるわけです。
しかし、過去世から来世まで、すべての瞬間は同時に存在し、同時に終わっています。
もしも終わっていなかったとしたらこの分離の夢は永遠性のある夢ということになり、
『神の子』は永遠にこの分離という苦しみから抜け出せないことになってしまいます。
しかし、『神』が創造しなかったものには永遠性はありません。
だからすべてが終わった未来はすでにあるのです。
「終わっているのに、なぜ “今ここの自分” は夢の中にいるの?」
と不思議に思うかもしれませんが、それは時間の流れを一本の線のようにイメージしてしまうからです。
ややこしい話ですが、この宇宙の始点にいる自分と、この宇宙の終点にいる自分は、同じところにいて一つです。
夢を見始める前の自分と、夢を終わらせた自分は、同じなのです。
何も変化しないという現実から、すべてが変化するという夢を見て、何も変化しないという現実に戻るのです。
「何も変化しない」というととても退屈なものと誤解してしまいますが、
もともとそこではすべてを同時に持ち合わせているわけですから変化する必要はないのです。
実在の世界で唯一『変化』と呼べそうなものは自らの存在を延長することだけです。
しかし、もともと自らしか存在しないわけですから何も変わらないのかもしれません。