『神』とあなた④ 『神の子』の投影 ①


〈このページはPCのほうが見やすいかと思います〉

 

ここでもまた違う書き方で説明します

 

解説する内容は同じなのですが、いろいろな説明方法を試みます。

なぜそうするかというと、一つの説明方法だけを信じてしまうと、それ以外の説明に出会った時にそれが間違っているかのように感じてしまうからです

 

真理はいつもシンプルで、真理は一つしかありません

しかし、真理を説明する言葉や方法は何通りもあるのです

 

図や言葉をそのまま覚えるのではなく、

図や言葉の向こう側にある図や言葉で表現できない世界を感じとるよう試みてください。

 

 

 

まずは全体図を見てください。

 

 

 

黄色の枠の中が実在の世界です。

唯一の不変で完璧な世界であり、すべてが一つの一元的世界です。

『神』と、

『神』によって創造された(延長された)『神の子』が存在する世界です。

 

それ以外に世界は存在しません。

私たちは本当はここに存在しています。

 

 

 

『神』という源が自らを延長したとき、その延長された部分に源と同じ性質が与えられました。

 

自らを延長するということは、自らにあるものだけを延長することができるということです。

 

源が持たないものを延長することはできません。

 

 

 

『神』が世界そのものであり他には何も存在しないわけですから、『神』が自らの外側に何かを求めるということはあり得ません。

 

すべてが自分自身なのですから、“自分以外の何か” という概念すらないのです。

 

相反する概念、二元論は成り立たない世界です。

 

仮にどこか一部分を見たとしても、その一部分にすべてが存在することになるので、性質の違うものが対極に位置することはあり得ません。

 

 

『神』は愛そのものです。

 

源が愛そのものであれば、延長された『神の子』もまた愛そのものです。

 

ここでは二元論は幻想ですから、何かを愛するけれど何かは愛さないということもありません。

 

『神』は『神の子』のすべてを愛しています。

 

愛さないということ自体が不可能なのです。

 

 

 

 

しかし、『神の子』は『神』によって延長されたことに対してたった一度、ほんの一瞬ですが、疑念を抱きました。

 

自らを延長されたのではなく、『神』から分離させられたのではないか?、

 

『神』の外側に創造されたのではないか?

 

そういう疑念を一度だけもったのです。

 

 

しかし、その疑念は『神』によって即座に否定されました。

 

『神の子』の疑念はほんの一瞬で取り消されたのです。

 

 

その「分離したのかもしれない」という疑念は【自我(エゴ)】と呼ばれます。

 

【自我】は源の中には存在せず、源と同じ性質の『神の子』にも存在せず、

 

よって実在することができない一瞬の気まぐれのようなものかもしれません。

 

 

 

その一瞬の中に、

 

分離という疑念そのものを象徴的に投影した宇宙という夢が含有するのです。

 

 

 

本来存在しない【個別の肉体】、【時間や空間】、【死や病気】といった間違った信念がその幻想の中では存在します。

 

 

何億年という膨大な時間が含まれていますが、時間は幻想ですので本当は一瞬で過ぎ去った出来事です。

 

 

 

『神の子』はほんの一瞬の疑念の中で、存在しない夢を見て、即座にその夢から目覚めた(取り消した)のです。

 

 

 

 

『神』は「神の子』のほんの一瞬の疑念がつくりだした夢の中に入ることはできません。

 

実在の存在は、実在しない夢の中には入れません。

 

よって『神』は『神の子』の夢を見ている部分と交信するために、

 

同じ『神の子』の夢を見ていない部分を媒介にして夢から覚めるよう促すことにしました。

 

 

 

この図において黄色い矢印です。

 

この “夢を見ていない部分” をハイヤーセルフとかハイヤーマインド、聖霊、キリスト意識、大天使、菩薩などと呼んでいますが、

すべて同じ一つのものを違う言葉で表現しているだけです。

 

 

『神』は、『神の子』が誤って幻想を見始めた瞬間から、

 

『神の子』の “夢を見ていない部分” を媒体にして、目覚めのための導きを開始してくれました。

 

 

この宇宙で私たちが肉体の目で見ているもの、肉体を通じて感じとるもの、それらは基本的に【個別に別れたもの】であり、

【変化するもの】であり、やがて【死んでいくもの】です。

 

 

 

私たちがこの世界で毎瞬毎瞬経験することは “今つくっているもの” ではなく、

“過去につくられたもの” です。

 

この宇宙や時間という幻想は一瞬のうちに始まり、一瞬のうちに終わったからです。

 

私たちは夢の中で同じ体験を何度も繰り返しています。

 

繰り返すたびに繰り返していることを忘れるので、それを初めて経験するように錯覚しています。

 

 

何度も繰り返すのは、自分の信念を修正するためです。

 

誤って抱いた信念を取り消して、本来の自分が持っている信念に置き換えるためです。

 

 

この投影された世界は、私たちの信念を具象化した世界です。

ですから、自分がどんな信念をもっているのか知りたければ、自分がつくったものを見ればわかるのです。

 

 

自分がどんな信念で目の前のもの、目の前の出来事をつくったのか、

そして、それに対して自分の心がどう反応しているのかを見るのです。

 

 

本当の自分として目覚めるためには、

誤ってつくられたものを、正しい目で見直すことしかありません。

 

 

例えば分離しているものを見て「本当に分離している」と肉体が知覚したとしても、

心はまったく正反対に「分離していない」と感じられるようになることです。

 

 

肉体の目で「確かに死んでいる」としか見えないものを、

「本当は活き活きと生命が躍動している」と心から感じられるようになることです。

 

 

自我としての自分は、常に肉体と心が同じように知覚します。

 

『本当の自分』として生きる自分は、肉体と心で知覚が逆転します。

 

 

自分がこの人生で出会うもの一つ一つを、それまでの自我としての視点で見るのをやめ、

『本当の自分としての視点』で解釈し直してゆくことが私たちに共通する使命です。

 

私たちは同じものを選択し直すために、何度も同じことを追体験するのです(輪廻転生など)。

 

 

信念が変わるまで続けます。

 

これまでの信念を持ち続けながら新しい信念を持つことはできません。

 

何かに対して抱く信念は常に一つだけです。

 

自我としての信念か、本当の自分(神の子)としての信念か、二つに一つです。

 

相反する信念を同時に持つことは不可能です。

 

私たちが選択し直すにつれ自分が体験することが少しづつ変わってきます。

 

自分が見ている世界は、今ここの自分の信念を反映した夢だからです。

 

夢の内容が自我の信念を反映したものから、本当の自分の信念を反映した内容へとだんだん変化するのです。

 

つまりは、だんだんと穏やかな安らぎや喜びに満ちた夢へと移行してゆくのです。

 

変化を続け、最終的には今ここの信念と本当の自分の信念が完全に一致し、自分が経験する人生は地上の天国、地上の楽園となるでしょう。

 

その時、ようやく私たちはこの幻想世界を卒業してゆくのです。

 

幻想から実在へ。

 

無から有へ。

 

私たちは本当の豊かさ、本当の愛だけが存在する世界へと戻ってゆくのです。

 

もう夢の中には帰ってきません。