【病気と死⑧】病気はあなたのアイデンティティではありません


 

 

僕自身の経験をお話しすると、

 

僕が初めて病気の原因はマインドにあると知った時、その概念をすぐには受け入れられませんでした。

 

僕自身、その当時は何十年も原因も治療法もはっきりしない病気で悩んでいて、西洋医学から漢方薬、民間療法までいろいろ試していました。

 

マインドに原因があると知った時は、

最初にネガティブな感情が湧いてきました。

 

 

何だかこれまでの自分の闘病生活を全否定されたような感覚になったのです。

 

その頃の僕は、病気と格闘してきたこれまでの経験にある種の誇りのようなものを感じていたのかもしれません。

 

おそらく当時の僕は《病気で苦しんだ》という経験を、

自らのアイデンティティにしようとしていたのだと思います。

 

 

 

病気であれ、

 

違うものであれ、

 

他人よりたくさん苦しんだ分だけ自分は人間的に(あるいは霊的に)成長できるという観念を持っていたのだと思います。

 

 

 

これも病気が治らないというある種の劣等感を隠すために、

 

自我が代わりにつくりだした優越感の一つかもしれません。

 

 

 

「苦労は買ってでもしろ」という言葉があるように苦労から学べることはたくさんあります。

 

しかし大切なことは、どれだけ苦労したか、どれだけ苦労に耐えたかではなく、

 

その苦労に対する自分の見方を変えて、どれだけその経験をゆるすことができているかが重要なのです。

 

 

 

どれだけ何を経験したかではく、

 

その経験をどれだけ違った視点で見られるようになったかが大切なのでしょう。

 

 

 

僕があみだした《病気を我慢してきた誇り》は、自分を癒すこととは矛盾していました。

 

何よりも病気を治したいという切実な思いがありながら、

 

一方では、病気が無くなったら寂しいとか、

 

障害が消えることに対しての喪失感、

 

自分の大切な何かが欠落するような思いが隠れていることがあるのです。

 

 

 

 

僕の病気はほとんど良くなって何年も経ち、もうそのことは忘れていいはずなんですが、

当時使用していた薬の残りや、治療法について自分なりに勉強したことをまとめたノートとか、そういうものを何年も捨てられなかったことがあります。

 

 

自分の治療経験がいつか誰かの役に立つかもしれないという考えもありました。

 

しかし、それ以上に自分の心にあったものは、

 

病気が治らない苦しさ、劣等感から自分を救うために、

 

『他人が恐れることを耐えてきた自分』に優越感を抱いて心のバランスを図ろうとしたのだと思います。

 

 

 

 

劣等感を打ち消すために優越感を利用しても、ただただ同じところをぐるぐる回るだけです。

 

 

これも必要のない過去への執着であり、間違った自我の一つです。

 

 

 

 

 

 

長年、同じ病気や障害で苦しんできた人はちょっと想像してみてください。

 

もしも明日、目覚めた時、自分の病気がすっかり治っていたらどうでしょう。

 

 

ある日、目覚めた時、これまでの自分の過去が変わっていて、

 

最初からそんな病気になったことなど一度もなかったことになったらどんな気持ちになるでしょう?

 

 

 

 

これまでの苦しんできた体験、

 

いろいろなことを我慢してきたこれまでの生活のすべてが、

 

全部なかったことになったとしたらどうでしょう?

 

 

 

「それこそ私が待ち望んでいたことだ」

 

 

そう思うでしょうか?

 

 

 

 

あんなに誰かに理解してほしかった苦しい日々が全部幻になったとしたら……

 

 

ある朝目覚めたら、

 

誰よりも病気の苦しみを知っていたはずなのに、

 

誰よりも病気の苦しみを知らない自分になっていたらどうでしょう?

 

 

 

嬉しいですか?

 

 

 

そう想像して素直に喜びの感情が湧いてきたなら、

 

これから先、病気は治る可能性があるでしょう。

 

あるいは完治しなくても病気が改善していく可能性は十分あるでしょう。

 

 

 

 

しかしイメージしてみて、なんとも言えない複雑な感情が湧いてきたのなら、

 

大切な何かを失ってしまうような喪失感を覚えたなら、

 

あなたは自分の病気や障害に執着してしまっているのです。

 

 

 

 

病気から離れたいと思ってきたのに、

 

自分自身がその病気という経験を手放せずにいるのです。

 

 

 

 

病気そのものに特別な意味や意義はありません。

 

病気になった事実に対して、

 

まるっきり違った解釈を受け入れて、心でネガティブな影響を感じなくなっていくこと、

 

そのプロセスに大切な意義があるのだと思います。

 

 

 

つまり心の中で病気から受ける影響力を消してしまうってことです。

 

 

 

その結果、自分のマインドがその病気を《死の手段》として設定していないかぎりは(最後のレッスンとして設定していないかぎりは)、

 

病気は治癒したり、状況が改善していくことになります。

 

 

 

 

たくさん葛藤すること、

 

他人より多く苦しむこと、

 

これらはみな原因も意味も同じですが、

 

これらにある種の生きがいを感じること、

 

これらの経験をすることそのものが自分を霊的に成長させるという観念を変えることこそ自らを苦しみから解き放つ最初の一歩となるのです。

 

 

病気をアイデンティティにしてしまうことで病気が長引いてしまうことが本当にあるのです。

 

 

生涯続くような病気や障害は大変なレッスンです。

 

 

そういう経験をする人たちは、生まれてくる前にそういう肉体になることを事前に承知して生まれてきています。

 

 

少しでも早く本当の自分に目覚めるために、

 

あえて困難なレッスンにチャレンジして、目覚めまでの時間を大幅に短縮しようとしているのです。

 

 

 

 

その偉大な勇気、崇高なチャレンジ精神に敬意を表します。

 

 

 

 

病気という経験に優越感や劣等感は必要ありませんが、

 

そんなあなたをサポートする見えない存在たちが、無償の愛と尊敬の念をもっていつもあなたを支えています。

 

 

どうしようもなく疲れてしまった時、

 

闘病生活に絶望してしまう時は、

 

どうかためらわずにあなたをサポートする存在たちに話しかけてください。

 

 

遠慮なく助けを求めてください。

 

 

意外と闘病生活が長い人ほど本気で『神』に助けを求めなかったりします(笑)

 

 

 

 

もっと語りかけてください。

 

 

愚痴をこぼしてもいいです。

 

 

怒ってもいいです。

 

 

でも最後には感謝してください。

 

 

感謝は自分を愛すること、自分を癒すことの始まりですから。