病気と死⑦ 病を治したいと思うのは間違いではありませんⅡ


 

罪悪感が病気の原因なのに、

 

病気を治したいと思う自分に罪悪感を感じてしまったら本末転倒ですね。

 

 

 

心が体を攻撃するから苦しんでいる。

 

心の中の罪悪感が体を攻撃している。

 

体を癒やすことと心を癒やすことは別々ではなく、常に一体です。

 

 

 

ただし体の病は心が投影したのだから心を癒やすことが主目的です。

 

 

 

 

心は実在します。

 

体は実在しません。

 

心を変えるのは(赦しは)心自身を癒やすためであり、

 

幻想を変えるためではありません。

 

 

 

しかし、幻想を変えることが癒しの目的ではないからといって、

 

肉体の痛みから解放されることを目的に心を癒す試みを間違いと決めつけるのは早計です。

 

 

痛みや苦しみは、心の中の恐れ、罪悪感、信念といったものを、

わかりやすく象徴として見せてくれるサインのようなものです。

 

 

この夢の世界では心の有り様と肉体は常に一体です。

 

心は常に肉体に影響を与えます。

 

完璧な心になって完璧な肉体をつくろうと言っているわけではありません。

 

だって本当の私たち、神に創造されたままの心は初めから完璧だからです。

 

肉体はどこまでいっても神が創造していないために完璧にはなれません。

 

ただ私たちが本当の自分は完璧なんだと少しずつ信じられる度に、

 

その信念は何らかの形で肉体に反映されることはあるでしょう。

 

 

あるいは、私たちが本当の自分に近づいていくごとに、

 

だんだんと自分の肉体の不完全さは気にならなくなるのかもしれません。

 

 

しかしそこは、肉体から発せられるサインを無視するというやり方では到底たどりつけないところです。

 

 

 

心と体を切り離して考えると(肉体の声を蔑ろにすると)、

 

病気は治らず、

 

心そのものも癒されないという宙ぶらりんな状態になってしまいます。

 

 

 

自分の信念を自分の肉体に投影しているのだから、

 

心は癒され平穏になったのに、

痛みや苦しみを同時に感じている状態になることはあり得ないのです。

 

病は完治してないのに痛みを感じない状態は可能です。

 

 

 

本当に心が平穏になれば痛みは感じません。

 

痛みが去っているあいだ心は平穏になります。

 

 

 

 

心が癒されても病は治らない場合はあります。

 

肉体は時間の流れには逆らえません。

 

よって個人差はありますが、老化による病はどうしたってあります。

 

それが時間という夢だからです。

 

 

 

しかし心を癒した結果、実際に痛みや苦しみが軽減することは不可能ではありません。

 

心が苦しむことをやめれば、病を違った目で見れるようになれます。

 

病との関係性が変わります。

 

自分の生活は相変わらず病の影響を受けるかもしれません。

 

相変わらず病を抱えていることで、不自由なこと、面倒なことは続くかもしれません。

 

 

 

 

 

しかし自分の心は病から何も影響されないのです。

 

心は病から完全に自由になれるのです。

 

 

 

 

心は実在し、体は幻想です。

 

けれど、矛盾しているようでも幻想の体を慈しむ必要はあります。

 

 

肉体が傷ついた状態は、

 

自分の心の反映として誤ってつくられた状態です。

 

 

ならばそこから目を逸らさず、

 

自分の心の中を見るように自分の肉体を見るしかありません。

 

 

 

 

 

傷ついた体は本当のあなたとは違います。

 

本当のあなたは一度も傷ついたことはありません。

 

しかし、今肉体が傷ついて、今そこから痛みを感じているのなら、

 

あなたは傷ついた体を自分自身だと誤って信じたということです。

 

 

 

 

自分は自分を傷つけられると信じてしまったということです。

 

 

だから心を労わるように肉体のことも大切に労わってください。

 

肉体が幻想だから肉体を蔑ろにしてしまうことは、心から肉体への更なる攻撃だからです。

 

 

 

 

 

 


【目標を明確にする】

 

 

 

 

自分はいったいどうしたいのか、

 

あらためて自分の意思を明確にすることから始めなくてはなりません。 

 

 

病気を治したいのか、

 

本当に治す気があるのかないのか、

 

まずはそこを明確にしなければなりません。

 

 

奇跡講座の学習者だからどうすべきかなんて悩む必要はないのです。

 

そもそも自分は病気を治したいと本気で思っているのか、

 

心が安らぐなら病気は治らなくていいと思っているのか、

 

あらためて自分に問いなおしてみてください。

 

 

 

何が正しいのか答えを探すあまり、

 

いつのまにか思考の森に迷い込んでしまっていることがあるのです。

 

 

 

治したいのか、

 

治らなくてもいいのか、

 

あらためてシンプルに考えてください。

 

 

「そんなの治りたいと思っているに決まっているじゃないか」

 

あなたはそう思うかもしれません。

 

しかし、あなたが自覚している意識とは違う意識ではまったく正反対のことを思っているから病気が続いているのです。

 

 

 

僕自身、こんなことが何度もあります。

 

病の症状がようやく落ちついてきてほっと安らいでいる瞬間、フッとこんな感覚がよぎります。

 

「また酷くなればいい…」

 

この感覚、これは自分の中の自我が攻撃をしようとする瞬間です。

 

そして、それを自覚できた瞬間です。

 

 

 

なんて自虐的なんだろうと思うかもしれませんが、

 

すべての病人がこんなふうに無自覚に自分への攻撃を続けているのです。

 

それに気づかぬよう自我によって巧妙に隠されているだけなのです。

 

 

 

 

赦しの学びを進めるうち、奇跡講座の学習を続けるうち、

 

自我が自分の体を、

 

自分自身が自分を攻撃しようとする瞬間を、

 

何年もかかって察知できるようになってきました。

 

 

 

 

昔はこの瞬間を自覚できませんでした。

 

最近になって、自分で自分を攻撃する瞬間は絶え間なく、実に頻繁に行われていることに気づいたのです。

 

数ヶ月に一度とか、数日に一度とか、そんなレベルではないということを……。 

 

 

 

 

気づけるようになるということは、気づいた瞬間に訂正できるということです。

 

気づけるなら、その都度その都度、

 

自分が本当に望んでいることは何なのか、

 

自分は本当はどんな存在なのか、選択し直せるということです。

 

 

 

 

「攻撃せよ!」というオーダーを、その場ですぐに取り消せるのです。

 

攻撃は絶えず行われているのです。

 

だから病を抱えている人ほど、自分の心の中を絶えず注意深く監視するよう努める必要があるのです。

 

 

 

安らぎたいのか、

 

苦しんでいたいのか、

 

痛みから自分を解放するのか、

 

ずっと痛みの中にいたいのか、

 

シンプルに決めてください。

 

 

 

 

あらためて自分の意志を再確認してください。

 

まずはそこから始めるのです。

 

 

 

 

 

 

 


【癒しのプロセス】

 

 

 

最初に大事なポイントは二つです。

 

(治そうという気持ちがある人だけお読みください)

 

 

⑴ まずは『治す』という意志を明確にする

 

⑵ 病を治すために心を癒そうとすると心も体も癒されない

 

 

⑴ については、治すのか、治さないのか、意志を明確にしておく必要性はすでに説明しました。

 

⑵ についてですが、心が癒されていないために病をつくりだしているから、病を治すために心を癒やすと考えればいいのかというとちょっと違うのです。

 

病を治すことを目的に(肉体を癒やす目的で)、心を癒そうとしてもあまりうまくはいかないのです。

 

 

どうしてかというと、病を治すために心を癒そうと考える時点では、

 

 

『病が治るまでは自分の心は安らげない』と信じてしまっているからです。

 

 

まずは病が治ってからでないと自分は幸せになれないという信念を持っている状態だからです。

 

 

 

自分の心に癒しを起こすということは、今すぐこの場で自分の心を癒すということです。

 

しかし、病を治すために心を癒そうと考えることは言い方を変えれば、

 

 

 

「病が治るまでは自分の心は癒されなくてもいい」

 

 

という誤った信念なのです。

 

 

 

 

 

 

僕自身、長い間このことが理解できずに葛藤しました。

 

これはお話ししている僕にとっても容易にクリアできない長い長いレッスンです。

 

心を癒すとはいったい何なのか、理解できているようでまだまだ理解が足りないのです。

 

 

 

筋道としては、理屈としてはシンプルなのですが、

 

本当の意味で自分の中で腑に落ちるまで長い時間がかかります。

 

 

 

地道に、諦めずに、実践を続けてみるしかないようです。

 

 

 

 

 

理想的なのは忘れてしまうことです。

 

病気について忘れている状態こそが、願望を叶えるために心が最も強力になれる時です。

 

病について考え、思い悩むたびに、病という幻想を自分の意識の中でどんどん現実化してしまい手放すことが難しくなるからです。

 

 

 

これは【引き寄せの法則】でもよく言われていることです。

 

 

例えば病気はすでに治ったとか、

 

病気はもう治りつつあるという観念に変えられたら病気は快方に向かうのでしょう。

 

しかし簡単にはいきません。

 

絶えず痛みや苦しみを感じたりしていると(病気を忘れられている時間が少ないと)うまくいきません。

 

 

それにただ『すでに治った』と観念を変えるだけならば真の原因を見ないまま通りすぎることになります。

 

これは真の原因(自我による攻撃、神への罪悪感、分離意識)に触れさせまいとする自我の策略ともいえます。

 

 

 

【引き寄せの法則】の基本的概念は、

 

『自分に見えている自分の外側の世界が自分の幸不幸を決める。だから自分が見えているものを変えよう』

 

です。

 

つまり二元論をベースにしています。

 

 

 

ここで僕が説明していることは基本的に奇跡のコース(奇跡講座)の考えが基本です。

 

『自分に見えている自分の外側の世界には自分の幸不幸を左右する力はない』

 

ことを主眼に置いています。

 

つまり一元論がベースになっています。

 

 

 

 

  

病気により心が苦しめられているのではなく、

 

心の中に隠されている罪悪感により心が苦しみ、

 

それを象徴的に病気という形で肉体に投影している

 

 

 

心から肉体へ攻撃が発せられているのではなく、

 

全ては心の中で起き、

 

全ては心の中で完結する

 

 

 

 

 

単純に言えば、

 

「病気が治ったらようやく自分は笑顔になれる」

 

と信じていたらいつまでも笑顔にはなれないということですね。

 

 

 

心が癒された結果、病が快方に向かうことがあってもその逆はないのです。

 

心の原因に触れないままなら、

 

医学で治癒できてもまた再発したり、違う病気を引き起こしたり、

 

あるいは病気とは違う形で自らを攻撃するようになるだけですから。

 

 

 

 

心を癒やすために心を変える。

 

病が治る前に安らぐために 。

 

 

 

 

 

自分の罪悪感が自分の肉体を攻撃していることを恐れずに見るのです。

 

 

その際は一人では見ない。

 

 

一切の自分の判断を捨てる。

 

 

 

判断をやめることで自分の中にスペースをつくり、聖霊(ハイヤーセルフ)を招き入れる。

 

 

聖霊と共に自分が投影したものを静かに見つめる。

 

 

 

病気への恐れが遠のくまで自分が攻撃したものを見る。

 

 

 

病気をしている状態は幻想にすぎず、

 

自分は神によって創られた愛であることを思い出す。

 

 

 

 

心の中に安らぎが訪れるまで、体を攻撃してきた自分の罪悪感を見つめる。

 

 

 

そして神と聖霊に全て委ねて手放す。

 

 

 

 

 

 

目標を明確にする

攻撃する自分に敏感になる

攻撃を生みだす心の中の原因を聖霊と共に見る

恐れが消えるまで共に見る

そして忘れる

 

 

 

 

 

このプロセスは一つも省かないでください。

 

心が苦しいと感じた時はいつでも行ってください。

 

 

 

 

僕はあなたを応援します。

 

あなたは神に愛されています。

 

あなたは愛そのものです。

 

あなたが愛そのものだから僕も愛そのものです。

 

 

 

あとはあなたがその愛を信じるだけです。