無邪気さの向こうで『神』は待っている


 

 

ある日、日課の瞑想をする直前、こんなことを願いました。

「ハイヤーセルフ、ガイド、大天使、どなたでもよいので今の私に何かメッセージがあったら伝えてください」と。

 

瞑想を始めるとまもなく映像が見えました。

住宅街の階段を上っていくと、階段の横に児童公園があり、幼い子供たちが楽しそうに遊んでいます。

階段を上った正面には、キリスト教の教会があります。

 

「なんだ、あの道か……」

 

この道は僕の散歩コースの一つで見慣れた風景の一つなのです。

僕にとってありふれた日常の風景です。

「これがメッセージなんですか?」と拍子抜けしてしまいました。

 

すると即座に頭の中でこんな声が聞こえてきました。

 

 

 

「無邪気さの向こうで『神』は待っている」

 

 

 

それを聞き「あぁ、そうか。そういうことか」と納得しました。

 

ここ数年の僕は事あるごとに見えない存在から、

「もっと遊びなさい」「もっと楽しみなさい」と言われることが多かったのです。

 

なぜかというと、僕は飽きっぽいところがあると同時にストイックになりすぎるところがあります。

飽きっぽいのは集中力不足でチャネリングに影響しますし、

生真面目さもまた心に余裕がなくなりチャネリングに悪影響を与えます。

 

頭ではわかっていても、なかなか実践するのは難しいです。

いつもいつも同じようなペースで出来ないのが僕の継続した課題です。

 

 

見せてくる映像というのは伝えたいことの象徴です。その短いものの中にさまざまなメッセージを込めて伝えてきています。

 

階段の途中で子供たちが遊んでいる姿を見るのは、

「あなたはもっと無邪気になる必要がありますよ」という意味であり、

 

階段を上った正面に教会があるのは(実際あるのですが)、

「無邪気さを取り戻さなければ『神』とはつながれませんよ」という意味です。

 

 

 

では、無邪気さと『神』がどのように関係しているのか、それをお話ししたいと思います。

 

実はこのメッセージをもらった数週間前にも夢で似たようなメッセージがありました。

それは漢字四文字でこんな言葉です。

 

 

『無我無想』

 

 

『無我』とは自意識を捨てること、エゴの支配から抜け出すこと。

『無想』とは何も考えないこと。自分で考えようとするのをやめることですね。

 

 

どちらも本質的には同じ意味です。

 

私たちはいつだって『神』の導きが必要です。いついかなる時でも『神』と共にいます。

 

しかし、肉体の私たちは『神』から離れてしまったという夢を見ています。

本当は今も『神』と一体で、『神』のいる実在の世界でスピリットとして存在しているにもかかわらず、

私たちは『神』から離れ、孤独に生きていると信じて、幻想の中に閉じこもってしまっています。

 

 

 

『神』は『本当の私たち』であるスピリットには直接呼びかけることができます。

 

しかし、幻想の中にいる肉体の私たちには直接的に『神』の声は届きません。

 

なぜなら、私たち自身が『神』の存在を恐れ、幻想という厚い壁をつくって『神の声』が届かないようにしてしまったからです。

 

ですから、その実在の存在の『神』と、幻想の中にいる肉体の私たちとの間を仲介するメッセンジャーが必要です。

それがハイヤーセルフ(ハイヤーマインド)であり、『奇跡のコース』では聖霊と呼んでいる存在です。

 

これは私たちの本来のマインドであり、肉体をつくったという幻想を生み出している部分(フィジカルマインド)とマインドとしては一体でありながら、完全にエゴ(フィジカルマインド)とは一線を画した存在です。

 

この存在が仲介することで、私たちが『神』とやりとりすることを可能にします。

 

この『神』との仲介役であり、実在の私たち自身であり、肉体の私たちを導く教師であるハイヤーセルフとつながるには、

そのつながりを邪魔するものを排除しなければなりません。

 

それが肉体の私たちが当たり前のように持ち続けている【自意識】ってやつです。

 

 

たえず「あーでもない、こーでもない」と考え、

 

たえず目の前に現れるものを「良いか悪いか」「損か得か」「好きか嫌いか」で分類して一喜一憂させる、

 

私たちが長い付き合いを続けているあの【自意識】です。

 

 

 

【自意識】はイコール【エゴ】です。

 

【エゴ】はイコール【フィジカルマインド】です。

 

 

 

本来、『神』が『神の子』の中に創造したものはハイヤーマインドだけなのですが、

『神の子』自身が、『神』からの分離を信じた瞬間に間違って生み出したマインドが、

 

 

【エゴ=フィジカルマインド=自意識】なのです。

 

 

 

 

私たちは人生の大事な局面ほど自分で考えて結論を出すことが正しいと思っています。

でもハイヤーセルフが伝えることはまったく逆です。

 

 

「重要なことであればあるほど自分で考えるのはやめなさい」

 

 

「日常で見聞きするすべてのことを自分で判断するのはやめなさい」

 

 

これは『奇跡のコース』の中でくり返し教わることなのですが、

僕自身、このことをわかっているつもりでいて実はちゃんと理解しきれていなかったと気づいたのです。

 

 

スピリチュアルな学びをしていると、これは宗教を含めてですが、「自意識を捨てなさい」というフレーズはよく出てきます。

ただこの僕は、それまで【自意識】を捨てるときは、瞑想をする時やチャネリングをするときに限っていた気がします。

 

「それじゃ、ダメなんだ」とハイヤーセルフは言っているのです。

 

「24時間、365日、いついかなるときでも【自意識】を捨てなさい」と伝えているのです。

 

なぜ僕は、なぜ私たちは、【自意識】を一時的にしか捨てようとしないのでしょうか?

 

 

 

【自意識】はたえず自分自身で考えるように促します。

 

私たちは幼少期から親や学校をはじめとする周囲の大人たちから「大事なことは自分で考えなさい」と言われて育ちます。

そう教育されて今日まで生きてきたのです。

自分の頭で考えることが自主性を育てることであり、

自分の経験と知識で判断できるようになることが成長の目安であり、

 

そう教育する大人たちもまた、子供の時分には周囲の大人に同じように教育されてきたのです。

 

 

誰もが、自分で何も考えなくなったら「アホになってしまう」と思っています。笑

 

自分で考えることをやめたら、自分自身が空っぽになると思っています。

 

これまで蓄えてきた経験と知識をフル動員して、目の前に来る問題を価値判断し、決断してゆく……。

これが私たちが「大人になる」ということであり、

これが成長のバロメーターであり、これまでの努力の成果であると信じてきたのです。

 

 

だから【自意識】は(エゴは)、たえず主導権を握ろうとします。

 

【自意識】は『神の声』なんて聞きたくないのです。

 

【自意識】は『神』から独立して独自の世界を構築したと信じていますから、『神の声』なんて求めることはないし、

そんなものを聞くことは自らの存在意義を失ってしまうことを意味するので、 

 

『神の声』=【恐怖】でしかありません。

 

 

 

【自意識】は自分の存在意義を失うことを忘れ、一生懸命自分で考えるように、自分で判断させようとしますが、

 

【自意識】が見る価値判断、

 

【自意識】が導き出す結論は常に間違っています。

 

 

ときどき正しい判断、ときどき正しい結論を出すこともあると考えてしまいそうですが、

【自意識】が出す答えは、例外なくすべて間違っているのです。

 

 

間違いとは、

【自意識】が導き出す結果は常に一時的な満足でしかないからです。

 

私たちが心から「幸せ」を感じたり「安らぎ」を感じたりできるときは、『本当の自分』として生きているときだけです。

 

肉体として生きていると信じている【自意識】は、『本当の自分』と真逆の思考パターンをもった幻想の存在にすぎません。

 

 

 

私たちの【自意識】は、『神』と正反対の思考をするこで『神』から離れて【独自の自己】をつくったと思えるのです。

 

私たちは『本当の自分』らしきものを、ほんの一瞬思い出すことはあるものの、

やっぱり幻想の自分を【自分自身】と信じて、日常に埋没していきます。

 

もともと『神』と一体で今もそうである私たちが、『神』とは違った考え、違った判断をするなんて不可能なのです。

 

その不可能なことを夢の中で試みて、それで自分が幸せになれるはずだと信じてやってみるものの、

やがてはその信じたものに裏切られ失望するのが関の山です。

 

 

 

『神』は『神の子』がどうしたら幸せでいられるのかをご存知です。

 

同じように『本当の私たち』でもあるハイヤーセルフもまた肉体の私たちが幸せになる方法を完璧に知っています。

 

 

ハイヤーセルフは完全に【時間と空間の外側】にいます。

 

ハイヤーセルフは完璧にこの幻想世界の外側に存在します。

 

ハイヤーセルフは私たちが生きている時間のすべてを見ています。

 

時の始まりから終焉までを。

 

現世の自分が生まれてから死ぬまでを。

 

自分の過去世から来世までを。

 

今を同時に生きるあらゆる並行世を、自分が行うあらゆる選択の可能性を。

 

すべてを見渡して、そのうえで【今ここ】の自分に代わってあらゆる局面を的確に見て、

【今ここ】の肉体の自分が適切な選択をするように導いてくれるのです。

 

 

 

自分一人で何かをしようとする……その考え自体が根本的な間違いなのです。

 

 

『神』に頼らずに自分のことは自分で考え、自分一人で事に当たる……

そして自分で手に負えなくなったとき、ようやく『神』に「助けてください」と祈ってみる。

 

 

これが根本的間違いなのです。

 

 

自分一人でどうにかしようとする必要はないのです。

 

『神』はこう言っています。

 

「なぜ、最初から私を頼らないのですか?」と。

 

 

 

『神』に頼るということは、自分が物理的な行動をしなくても物事が勝手に解決されるということではありません。

 

かといって、『神』は何もしてくれないわけではありません。

 

まずは、肉体の【自意識】は幻想であることを自覚して、

もうこの【自意識】は自分にとって何の役にも立たないことを認めることから始めるのです。

 

 

「自分一人でできるようになろう」ではなく、

 

「自分一人で正しい判断ができる人間になろう」でもなく、

 

 

「自分一人では何もできない」

 

「自分一人では何も正しい判断はできない」

 

だから……「『神』よ、私の代わりに、私にとってもっとも正しい判断をしてください」と依頼するのです。

 

 

「自分一人で何かしてみよう」から始めるのではなく、

 

「自分一人では永久に何もできない」ところからやり直すのです。

 

 

マインドから【自意識】を脇に追いやって初めてそこにスペースが生まれます。

 

そのマインドの空いたスペースにようやくハイヤーマインドが流れ込んでくるのです。

 

 

自分一人で考えることをあきらめること。 

 

あきらめるとマインドにスペースが空きます。

 

 

 

 

私たちがどうしたら幸せになれるかを知っている存在がいます。

私たちには、幸せになれる複数の選択肢は存在しません。

幸せになれる方法は常に一つしか存在しません。

 

 

ハイヤーセルフは常にその一つを指し示します。

 

 

 

 

無邪気の「邪気」とは、『本当の自分』がしない価値判断であり、『本当の自分』がしない決断です。

 

幼い子供はみな無邪気です。

 

幼い子供は経験や知識は持ち合わせていない代わりに邪気はありません。

 

 

「邪気がない」=【マインドに『神』を招き入れるスペースを持っている】

 

 

ということになります。

 

 

そうです。僕もずっと長い間スペースが足りなかったのです。

『神』を招き入れることを恐れ、スペースを閉ざしていたのです。

どんどんスペースを拡げてきたつもりでいたのに、それでも全然足りていなかったのです。

 

 

自分で考えることをあきらめきれずにいたのです。

 

 

『本当の私たち』のマインドに閉ざされた部分は存在しません。

たえず『神』と共に見て、たえず『神』と共に判断し、たえず『神』と共に行動します。

 

 

 

幼い子供はよく遊びます。 

 

彼らは喜べることが大好きです。

 

それは、私たちと一体である『神』そのものが喜びに満ちた存在だからです。

 

 

『本当の私たち』はたえず喜びに満ちた存在です。

幼い子供は、大人よりもはるかに【自意識】を信頼せずに『神』を信頼しているのです。

 

『神』を信頼しているときだけ、『神』とのつながりを感じられるのです。

 

『神』を信頼しているから、心の底から喜べるのです。

 

喜びたいから遊ぶのです。『神』とつながりたいから遊ぶのです。

 

心から遊んで、心から喜んで、そうやっていると『神』とつながれることを無意識に知っているのです。

 

 

 

子供は無邪気な教師です。

 

この僕に、そしてあなたに、もっとも大切なことを教えてくれる最高の教師です。

 

 

 

僕ももっと遊ぶことにします。笑