幻想の非物質世界へ旅立つ①


 

今回は人が死んだとき、

 

どのようにして次の段階に移行するのか、

 

どのようにして『あの世』へ進むのか、大まかなプロセスをお話ししていきます。

 

 

 

もしも今、あなたが「死んだ」と仮定してシュミレーションしていきます。

 

「縁起でもない」とか「不謹慎だ」と思う方は読まないほうがいいです。 

 

これでも大まじめに書いております。

 

 

 

 

あなたが今「死んだ」と仮定します。

 

 

 

 

病気で余命を告げられていたり、 

もしくは老衰だったなら、 

あなたはすでに『死』を覚悟していたのかもしれません。 

 

 

心の整理、身辺の整理もとっくに済んでいて、

いよいよそのときが来て安らかな気持ちになっているのかもしれません。

 

 

このようなとき、あなたが次の段階に進むためのサポートをするため、 

俗にいう【あなたの守護霊】が迎えにきています。

 

 

 

【守護霊】については、いろいろ誤解を生みやすいのですが、

基本的にあなたの古いご先祖だったり、過去世で強い縁があったりする人が、 

あなたがこの世界に誕生する前から死ぬときまであなたを見守ってくれている存在だと思ってください。

 

 

そのほかに、あなたと生前に縁のあった人たち、先に亡くなった家族、親戚、友人なんかも来たりして、 

守護霊と一緒になってあなたがスムーズに新しい形態に移行するのを手伝ってくれたりします。

 

 

 

こういうケースの場合はさほど心配いりません。 

こういうケースというのは、本人がすでに「自分の死」を自覚できているからです。 

 

 

でも、ある日突然、急病や事故、天災などに遭った場合はどうでしょうか。 

 

あなたは、ある日、ある時、思いもかけないときに『死』を迎えました。

 

 

 

『死』にアクシデントというものはなくすべては必然的に起こります。

 

事故死であれ、病死であれ、短命であれ、

生まれる前に決まっていること(『神』が決めているわけではありません)なので、 

偶然とか、アクシデントというものはありえません。

 

 

ある日突然あなたが死んだ瞬間、あなたが真っ先に気づくことは、 

 

「自分は死んでない」ということです。 

 

 

あなたは肉体が生きているときと同様に「見ること」ができます。

 

あなたは肉体が生きているときと同様に「聞くこと」ができます。

 

あなたは肉体が生きているときと同様に「心の中で感じること」ができます。 

 

 

 

あなたは自分の体を見ます。 

個人差はありますが、半分透けて見えることもあり、以前と何も変わっていないようにも見えるかもしれません。

 

 

 

前回お話ししたように、この世界は【マインドが見ている夢】です。 

 

「死」は【物質が存在する夢】から【物質が存在しない非物質世界という夢】に移動するにすぎません。 

 

夢から夢へ、幻想から幻想へと渡り歩くのです。

 

 

 

亡くなったのが、自宅であれ、病院であれ、どこか知らない場所であれ、あなたは辺りを見回します。 

 

今の自分の置かれている状況を把握しようと努めます。 

 

そこで、あなたは自分の体を見つけます。 

 

「どうして自分の体が二つあるのだろう」と思ったりします。

 

あなたの体の周辺には誰もいないかもしれないし、誰かいるかもしれません。

 

お医者さんがいるかもしれないし、家族がいるかもしれないし、見知らぬ誰かがいるかもしれません。

 

 

 

 

その人たちはあなたの存在に気づかずに、横たわるあなたの体ばかり見ています。

 

あなたの体に向かって何か言ったりしています。

 

 

 

親しい人なら泣いているかもしれません。

 

ショックを受け呆然としているかもしれません。

 

 

 

あなたはそのとき、「自分は死んだのかな?」と感じます。

 

けれど、あなたの意識は以前と変わらずはっきりしています。

 

 

 

「何かの間違いで自分の体から抜け出してしまった」と思うかもしれません。 

 

 

あなたが亡くなる直前まで病気で苦しんでいたり、

事故で体に強いダメージを受けていたのなら、死後も体に痛みを感じたりします。

 

肉体が死んでいるのに痛みを感じるのです。

 

 

 

この現象は、【物質世界】も【非物質世界】でも共通していることです。

『自分がマインドで信じていること』を体験するために起こります。

 

自分の信念によって、あなたが何を信じているかによって、あなたの体験が変わってきます。 

 

「自分は病気だった。だから苦しいはず」と強く信じていれば、病気のときの苦しみは死後も続きます。

 

生前、肺の病気だったなら呼吸が苦しいと感じたり、頭部の病気ならば「頭が痛い」と感じるかもしれません。

 

 

「自分は事故に遭った。だから体は痛むはず」という想念を持っていれば、死後も怪我の痛みが残ります。

 

 

 

しかし、その痛みや苦しみは永遠に続くわけではありません。

 

自分が死んだことを自覚できるようになり(死を受け入れて)、 

「苦しみも痛みも自分の想念にすぎないんだ」と悟ったとき、それは一瞬で消えてしまいます。 

 

 

 

痛みがあってもなくても死の直後はなかなか自分の死を受け入れることができません。

 

それはしかたがないのです。あなたには心の準備をする時間がなかったのですから。

 

 

 

あなたは自分の体を見て、「早くこの体に戻らなきゃ」と考えます。

 

何度も何度も自分の体のそばをうろうろしたりします。

 

 

 

戻ろうとするけれど、戻れません。 

 

どうしていいのかわかりません。 

 

あなたの親しい人が来て、その人たちがあなたの体に寄り添って泣いているかもしれません。

 

 

 

あなたはその人たちのそばへ行きます。

 

その人たちに声をかけます。

 

でも、誰も気づいてくれません。

 

 

ときには、その場にいる人たちの中に、俗にいう“ 霊感の強い人 ”がいて、 

「チラっ」とあなたの存在に気づくこともあります。

 

 

でも親しかった人ほど、 

家族や恋人など愛情で強く結ばれていた人ほど、 

あなたの姿、あなたの声に気づいてはくれません。

 

 

なぜかというと、いわゆる霊的な感受性というものは、

 

『冷静な精神状態であるとき』、

 

『なにも考えていない“ 無心状態 ”のとき』に活発に働きます。

 

 

日頃“ 霊感の強い人 ”だったとしても、 

大切な人の死を目の当たりにしてショック状態にあるときは、霊的感受性は一時的にシャットダウンしてしまいます。

 

あなたとは生前無関係だったお医者さんや看護士さんのような他人の中に、あなたの姿に気づく人がいるかもしれません。 

 

 

 

 

いくら目の前を通っても、 

いくら声をかけても、大切な人は気づいてくれなくて、あなたは寂しくなります。

 

 

どんどん時間だけが過ぎていきます。

 

 

 

 

 

後日、あなたの葬式があります。 

 

あなたは自分で自分の葬式を見ることになります。

 

 

そのとき、「本当に自分は死んだんだな……」と思うようになります。

 

 

 

しかし、あなたが生前に死後の世界なんてこれっぽっちも信じない人だったならば、

 

いわゆる【無神論者】であり、【唯物主義者】であり、【死んだら無になる】と本気で信じていた人だとしたら……

 

 

 

あなたがこれにあてはまる場合、やっかいなことになります。

 

 

 

 

あなたが「人は死んだら無になる」と本気で信じているとしたら、

 

(そういう人は僕のサイトは見ないかもしれませんが。笑)

 

あなたが自分を死んだことを受け入れるのには長い時間がかかるでしょう。

 

 

 

 

 

だって死んだとたんに自分は【無】になると信じていたわけですから。 

 

あなたは死んでも、普通にモノが見え、普通に音が聞こえ、普通に動き回れるわけです。

 

生きている人と会話したりするのは難しいかもしれませんが……。

 

 

 

あなたは、「これは現実じゃなくて夢なのかもしれない」と考えるかもしれません。

 

こういう人は、とても頑固な性格でなかなか自分の信念を曲げません。

 

 

こういう人は、死後も以前と変わらない生活をしようとします。

 

普通は死んだあとで周囲の状況が変わってしまったのを見ることで「自分が死んだ」と気づいていくのですが、 

こういう人は、自分にとって都合のいいモノしか見えなくなります。

 

 

 

死後の自分の体も、自分の葬式も、見えません。

 

本当に見えなくなるのです。

 

 

 

「自分が死んでいるはずはない」とか

 

「死んだなら無になっているはずじゃないか」

 

という強い信念が、ぶ厚いフィルターのようになって、自分の眼を狂わせるのです。

 

 

 

 

『シックスセンス』という有名な映画がありますが、あの映画の主人公がまさにこんな感じですね。

 

主人公の精神科医はとっくに死んでいるのに、自分が死んだときの状況をすっかり忘れて、 

自分の家で生前と変わらない生活を続けます。 

 

生前と同じ仕事もします。

 

主人公は、奥さんがちっとも会話してくれなくなったのは、夫婦仲に問題があるせいだと思い込みます。

 

 

しかし、霊的感受性の強い少年と出会ったことをきっかけに「自分は死んでいたんだ」と気づきます。 

死後、初めて自分の死を真正面から認めたとたん、主人公は次の世界へと自ら歩いていきました。

 

 

個人的にはよくできた映画だなって思っています。

 

【肉体の死】を真正面から受け入れ、

 

「もうこの世界に自分の居場所はないんだ」と悟り、

 

自らの意思で「新しい世界へ行こう!」と決めたとき、ようやく目の前の扉が開くのです。

 

 

 

肉体が死んだとたん、自動的に『あの世』へ行くわけではないのです。

 

何年ものあいだ、生き返ることもできず、『あの世』にも行かず、さ迷っている人は大勢いるのです。

 

 

 

自分自身の『自覚』と『決意』の問題なのです。 

 

この段階になって、あなたが自分の「死」を受け入れたときになって、

 

ようやくあなたの前にあなたの【守護霊】が姿を見せます。

 

 

 

本当はあなたが死んだときから、ずっとあなたのそばに居たのですが、 

あなたの「自分はまだ死んでいない」という強い信念があなたの周囲に厚い壁をつくり、 

守護霊の存在を見えなくしていたのです。 

 

 

守護霊はあなたの自由意思を尊重します。 

基本的には一部の例外を除き、無理やりあなたの手を引っ張って、あちらの世界へ連れていくような真似はしないものです。 

 

 

行くタイミングをあなた自身に決めさせるのです。

 

あなたが次の段階に進もうと決意したなら、そのためのサポートを始めますし、 

逆に「今の場所にとどまる」と思っているなら手出しはせず、傍で辛抱強く見守ってくれます。 

 

 

なぜならば、私たちを生み出した『神』がそうしているからです。

 

『神』は私たちに自由意思を与えました。あなたの意思を何よりも尊重しています。

 

あなたに自由に選択させるのです。

 

でも自由だからといって、放っておくこともありません。

 

適切なタイミングで、あなたが必要なことに気づけるようにさまざまな方法で働きかけるのです。

 

ですから、守護霊は『神』のやり方に反した方法はしません。

 

 

 

 

ここからは守護霊の導きで次の世界へと旅立ちます。

 

ときに、自分が死んだことはとっくに悟っていたものの、なかなか旅立たない人もいます。 

 

それは、この世界に残した人たちのことを心配して離れるのをためらってしまうのです。 

残された人たちが、あなたを失った悲しみからいつまでも立ち直れずに苦しんでいたりする場合、 

あなたはその場を離れることが辛くなるでしょう。 

 

 

いろいろと心の整理をする時間も必要でしょう。

 

 

いろいろと見届けたいこともあるでしょう。

 

 

それは、人によって数ヶ月の場合もあるし、何十年もかかる人もいます。 

 

 

守護霊はあなたに旅立ちをうながすことはありますが、強制することはしません。 

あなたが自分で決意するまでは、あなたの好きにさせてくれます。 

 

 

あなたの意思が固まって、ようやくあなたは、新しくもあり懐かしくもある世界へ引っ越すのです。

 

 

 

この物質世界を卒業するのです。