自分と他人の境界線は


 

僕自身、並行世や過去世や来世を学ぶにつれ【自分】という定義は何なのだろうと疑問に思うようになりました。

長いあいだ自分が信じてきた【自分】とか【自己】というものはすべて『肉体』を基準にしてきたからです。

しかし、この『時間』をテーマにした一連のお話しを読んでいただけたら、

『肉体』から一歩離れてしまえば、これまで信じてきた【自分】とか【自己】とはいかに曖昧で不確かなものなのかを感じていただけるんじゃないかと思います。

 

並行世も、過去世も、そして未来世も、【今ここ】の自分とは関連はあるものの直接的なつながりはありません。

すべては直線で結ばれるものではなく、点状に散らばっているようなものです。

 

こうではなく↓ ↓ ↓

 

 

 

こうです ↓ ↓ ↓

 

 

すべては「分離した」という誤解のもとに一瞬でつくられ、

その誤解を修正するための『神の計画』により、一瞬で元に戻ったのです。

もちろん一瞬といっても、私たちの時間の感覚では何億年もあるのかもしれません。

 

夢から完全に醒めて、まったく元の状態に戻っている未来の自分はもうすでにいるのです。

未来とか過去という観念は幻想です。

この夢から醒めて『神』のもとにいる自分がすでにいるのですから、

それは未来ではなく、過去と呼んでも不正解ではありません。

 

また【今ここ】にいる私たちは、リアルタイムで【今ここ】を生きていますが、

すでにすべてのレッスンを終えている自分が同時に存在していますから、【今ここ】にいる私たちは過去の中を右往左往していることになります。

 

なんだかややこしいですね。

 

 

 

私たちがハイヤーマインドとか、ハイヤーセルフとか呼んでいるものは(コースでは聖霊と呼んでいます)、

 

私たちのマインドの中で、

 

一度も分離を信じなかったマインドであり、

 

『神』が創造したときのままのマインドであり、

 

そして、すべてのレッスンを終えて完全に夢から醒めた未来の私たちでもあります。

 

私たちはその一度も幻想を見なかった自分、

【今ここにいる自分】の未来でもあるハイヤーマインドを教師としてレッスンを進めているのです。

 

 

 

私たちが目指すところは、ゴールではなく、スタートラインです。

私たち『神の子』は『神』から離れて何かをつくり、その果てに『神』のもとに帰ることがゴールではなく、

最初から『神の子』だけでは何もつくらなかったという『幻想を見始める前の時点』に戻ることです。

 

 

私たちは今、自分たちが間違ってつくりだした『時間という海』の中にいます。

私たちはそのハイヤーマインドという教師に従って、

いくつもの時代、さまざま環境に散りばめられた間違いを一個一個修正していく旅の途中です。

 

いくつもの時代、さまざま環境、さまざまに分かれて生きる者が同時に存在しています。

現世を生きるあなたが何かの問題にぶつかって立ち往生するとき、それはレッスンの一つであるわけですが、

あなたが【今ここ】で見ている問題と本質的に非常に良く似たこと、あるいはほとんど同じといってもいいような問題と、

今同時に向き合っている人たちがいます。

 

その人たちは、この時代にいないかもしれません。

違う時代、違う国、違う人種、違う性別かもしれません。

今より古い時代かもしれないし、今より未来かもしれません。

いずれにせよ、同じ課題を目の前に悪戦苦闘しているわけですから、その人たちは間違いなくあなたの同志です。

 

霊視によって、あるいは退行催眠によって浮かび上がってくるいくつかの人生は、その同じ課題を今リアルタイムで取り組んでいる同志たちの人生です。

 

それをあなたは自分の過去の記憶のように感じます。なぜなら「その人生を生きた」という記憶がマインドの中にあるからです。

しかし、それは今ここでハイヤーマインドとつながることによって、ハイヤーマインドによって見せられているリアルタイムの情報です。

あなたが「これは過去世の自分」「これは来世の自分」と感じるものは、今、リアルタイムで同じ課題に取り組む仲間です。

 

同じ課題に同時に取り組んでいるから、その過去世や来世を見たときに「これは自分の人生だ」と感じるのです。

 

すべての人生は同時につくられたのです。

そして癒される瞬間も同時です。

 

あなたが目の前にある問題を癒したとき、つまりそれはあなたがその問題をエゴとしての自分ではなく、

『本当の自分』として見つめて、『本当の自分』として解決できたときを意味しますが、

その現世のあなたが癒される瞬間、過去世や来世の自分にも同時に癒しが起きるのです。

 

これは誤解を与えてしまう言い方なので、もう少し詳しく説明してみます。

前の回の『ストーリーを変える』を思い出してください。

 

あなたがAというレッスンをクリアするとき、あなたは自らの波動を変えます。

これまでとは違うストーリーの流れに移動します。

移動した先のストーリーには、それまでとは違った新しいストーリーに関連する過去世や来世が待っています。

つまり、Aというレッスンをクリアしたあなたに関連する過去世や来世の自分は、

あなたと同じくAというレッスンをクリアした過去世や来世の自分になるわけです。

 

私たちはこういうことを毎日を生きるなかで、無意識に、くり返し行っています。

 

別のストーリーに移動すれば、前のストーリーとの関連は失われます。

つまりは、私たちの過去世や来世は頻繁に変わっているのです。

だから厳密にいえば、自分の過去世や来世を特定することはあくまでも一時的な特定にすぎないものなのです。

 

 

今回の表題である「自分と他人の境界とは何か」というお話しですが、

たとえば、現世のあなたが、過去世や来世と呼ばれる人生を誰かと共有していることがあります。

実際これは珍しいことではありません。よくあることです。

 

私たちが肉体をいったん離れ(肉体の死を迎え)非物質界に戻ったとき、それは『時間という海』の外に出ることになるわけですが、そのとき時間の外側から『時間の流れ』を見つめて、

 

「自分に残っているレッスンは何なのか」

 

「次にどのレッスンを選択するべきか」

 

を考えるわけです。

 

たとえば、あなたが次のレッスンを「Aという時代のBという人物の人生」にしようと決めるとします。

その際、他にもあなたと同じようにその「Aという時代のBという人物の人生」が最適という人がいれば、

その人と一緒にその同じ人物の人生に同化します。

 

つまり、来世は同じ人間として生きるわけです。

同じ人生を望む者が3人いれば3人同時に同じ来世、同じ人間として生きることになります。

 

ここからややこしくて混乱するかもしれませんが、

たとえばこの3人が、直前に生きた人生がそれぞれまったく違う時代、違う国だったりすれば、

(非物質界は時間の外にあるので、別々の時代に死んだ者同士が一緒になることもあります)

もしも来世のあなたが自分の過去世を見たならば、少なくともその3人の過去世が見えることでしょう。

 

あるいはこういうパターンもあります。

 

同じように「Aという時代のBという人物の人生」に生まれたいと思う者が複数いた場合、

「Bという人生」の生まれてからある時期までは、あなたがBという人間として生きます。

そしてある時点からあなたはその肉体を離れ(あなたのマインドがその肉体に焦点を合わせるのをやめて)、

あなたの代わりに別の者がその時点からBという人間として生きていきます。

その際、それまでのBが生きてきた記憶はすっかり引き継がれるのである日突然別人になるわけではありません。

(でも時には「別人になった気がする」と本人や身近な人が感じるケースもあるようです)

 

生まれてくるときに過去世を忘れてしまうのと同じように、その人生を途中から交代したこともすっかり忘れてしまいます。

これはスピリチュアルな世界では『ウォークイン』と呼ばれることがあります。

魂が出たり入ったりしているように感じるせいでこのような表現になるのでしょう。

 

 

 

あるいはこれとは逆のパターンもあります。

 

あなたが次のレッスンを「Aという時代のBという人物の人生」にするのが最適と思い、

けれどまったく同じAという時代にCという人物がいたとして、そのCの人生も自分のレッスンに最適と思えた場合、

同時代に「Bという人生」と「Cという人生」の二つを同時に経験することを選びます。

場合によっては、二つではなく三つの場合だってあり得ます。

 

このように同時代に二つの人生を同時に生きる場合は『ツインソウル』などと呼ばれます。

三つを同時に生きる場合は『トリプルソウル』などと呼ばれたりします。

(違うテーマ『双子の魂』でも少しお話ししましたね)

 

 

 

どうしてこういうことが可能なのかといえば、それは何度もお話ししているように私たちのマインドは常に

『この世界の外側』にあるからです。

 

マインドは夢の中の肉体の中にあるのではなく、

マインドは夢の外で夢をつくりだしている張本人だからです。

 

そして、マインドはいくつものマインドに分かれているのではなく、

「いくつものマインドに分かれてしまったと信じている本当は一つの存在」だからです。

 

すべてはたった一つのマインドの中で起きている夢の中の出来事です。

夢の中で行ったり来たり、一つになったり、二つになったりしているわけです。

 

 

非物質界は階層の世界です。(物質界も正確には階層の世界です)

私たちが霊的に進化して、その非物質界の高い階層に上昇した場合、上昇すればするほど分離を信じなくなります。

制限を信じなくなります。

よって、高い階層ではいろんなことが可能になっていきます。

 

自分が経験のない過去世や来世とまったく関連性のない人生に一時的にアクセスできるようになります。

これはあくまでもわかりやすい例としてお話しするだけですが、

たとえば、あなたが現世の親兄弟やパートナー、あるいは友人、あるいはあなたが憧れた人、

親しかった人、一度も口をきいたことがない人、要は誰でもいいのですが、その人の人生を一時的に味わうことができます。

 

あるいは、自分が生きた過去の中で「もう一度あの頃に戻ってみたい」とか「思い出深いあの日をもう一度味わいたい」と思うなら一時的に戻れます。

 

あくまでも一時的ですが、すべての人生は同時に存在して、同じ一つのマインドの中の夢ですから、

その時の、その人物のマインドに焦点を合わせれば一時的に同化することができてしまうわけです。

 

これは先ほどの『ウォークイン』ほど長くはなく、目的も通常のレッスンとは違う理由で行われるのだと思います。

 

つまり、【今ここ】を生きている肉体の私たちは、常にさまざまな存在が近づいたり離れたりしており、

その度にさまざまな影響を受けて変化する曖昧なものであり、

肉体の私たちを【これこそが自分】などと定義することは到底不可能なことなのです。

 

『本当の私たち』は肉体ではなくスピリットです。

肉体の中にいるというのが幻想で、『本当の私たち』はどこにも行かず、ずっと『神』と共にいる変化しない存在です。

「変化しない」と書くとひどくつまらないと思われそうですが、すでにすべてがあるのに何かに変わる必要がないだけです。

 

 

私たちの自己とは何か。

 

 

この幻想の世界で【自分】とは何かを探し求めても永遠に答えはありません。

なぜなら、本当の自己は常に幻想の外側にいるからです。

だから私たちは肉体の(幻想の)自分を確立することにやっきになっても結局は満足することはありません。

一時的な満足はあっても、「やはりこれは理想の自分じゃない」とか「この自分では何かが足りない」と思い続けるだけです。

そう思い続けて、葛藤して、戦って、苦しむだけです。

 

 

【今ここ】で、ハイヤーマインドという【本当の自己】として生きること。

 

それは、本当はすべてが一つであると信じて生きること。

 

目に見えているもの、分離して見えるもののすべては幻想であることを前提にしてさまざまな物事と向き合うこと。

 

 

 

幻想世界で【自己】をつくりあげようとしても永久に何にもなれません。

 

なぜなら、

 

【存在するすべてがあなた自身】なのですから。