過去世と来世(再生する理由)


 

【本当の私たち】は真実の神霊界に存在しています。

 

この世界だけが唯一の実在の世界です。そしてここにいるはずの私たちのマインドの一部分が、

 

「ここにはいない」という夢を見始めたことで、この宇宙とこの時間は始まりました。

 

 

マインドが、幻想のすべてをつくっています。

 

マインドが、自分の外側に何かをつくりだしたと信じています。

 

マインドは、自らの外側に、マインドの中にあるものの象徴を投影しています。

 

 

 

 

『死後の世界とは』でも説明したように、真実の神霊界に近ければ近いほど(距離は幻想ですが)より【実在の世界】に近くなっていきます。

 

だから、ずっとその世界に留まれたらいいのですが、そうもいきません。

 

それは先にもお話ししてきたように、私たちは自らがつくった幻想の一つ一つを修正しなければならないからです。

 

これは、この宇宙のすべての生命体に共通することです。例外はありません。

 

物質次元であろうが、非物質次元であろうが、人間であろうが、それ以外の生き物だろうが、

 

地球人であろうが、他の惑星の宇宙人であろうが、すべては同じ目的で生きて、同じところへ向かっています。

 

 

 

私たちのマインドは、何度も「死」を経験し、何度もさまざま次元、さまざまな環境に再生します(移行します)。

 

その再生する理由は「修正すること」ですが、もう少しそのあたりを詳しくお話ししていきます。

 

 

 

先にお話ししたように、すべては同時につくられました。 

 

マインドの中にすべての点はつくられました。 

 

誤ってつくられた点のすべては幻想です。

 

各々の点が、私たちの過去世であり、現世であり、来世であり、並行世なのです。

 

点は幻想ですが放っておけば勝手に消えてくれるわけではありません。

 

それらは、マインドのなかで修正されるまでそこに残り続けます。

 

 

 

私たち『神の子』が再生をくり返す主な理由は、

 

『神』を怖れているためです。

 

これが私たちがいつまでも幻想の中にとどまる最大の理由です。

 

私たちは何よりも『神』を求めていながら、何よりも『神』を怖れているのです。

 

『神』から分離したことで、『神』から離れ好き勝手に世界を作り上げてきたと思い込み、

 

いつの日か怒りの『神』が天罰を下すとマインドの奥深くで信じ込んでいるからです。

 

この怖れが、「いつまでも幻想を信じていたい」という原動力になってしまっています。

 

そしてこの怖れは同時に「神の元に帰ったらこれまでの自分の個性、これまでの自己を失ってしまう」という怖れも生み出しています。

 

この『神』への怖れをマインドから除去していくことは簡単ではありません。

 

よって、『奇跡のコース』のように時間をかけて怖れの一つ一つを解除してゆくプログラムが必要になってきます。

 

私たちに分離を信じさせるために、フィジカルマインド(エゴ)は様々な緻密で巧妙な手口で私たちを幻想に引きとめています。

 

『神』の本当の姿を見ないように、さまざまな方法で『神』への恐怖を駆り立ててこの幻想世界を維持しようとします。

 

 

 

修正とは、この『神』への怖れを解除してゆくことであり、

 

私たちがそれぞれの人生で経験するすべてのことをゆるしていくことになります。

 

 

それぞれの点、それぞれの人生は、それが「真実である」とマインドが信じている証拠です。

 

それを信じることをやめないかぎり、その一つ一つの幻想はそこに残り続けます。

 

幻想をやめること。これが修正であり、修正が私たちのレッスンです。

 

 

私たちの肉体は必ず死にます。

 

基本的にその人生では、その人生でしか経験できない立場、その人物でしか見ることのできない視点でレッスンの一つ一つをこなしてゆくわけです。

 

平均寿命より早く死ぬことも一つのレッスンであり、

 

平均寿命より長く生きることも一つのレッスンです。どれが正解でどれが間違いというわけではありません。

 

 

死んで、非物質世界へ移行しますが、基本的には同じ幻想世界ですから、どこに行っても向かうべきゴールは同じです。

 

『神』のもとへ帰るというゴールです。

 

『本当の自分』を完全に思い出して、幻想を終わらせるという目標です。

 

 

 

物質界の生命体であろうと、非物質界の生命体であろうと、

 

一人ひとりは全体の一部であり、

 

一人ひとりが全体でもあります。

 

それはすべての生命は同じ一つのマインドの中に存在するからです。

 

一人が全体でもあるということは、一人ひとりが完璧であるということです。

 

しかし、幻想の中で生きている存在は「自分が全体であること」を忘れています。

 

そして、「自分が完璧ではない」と信じてしまってもいます。

 

 

 

あなたが死んで、【時間と空間と死の幻想世界】から離れて、【時間と空間と死は信じない幻想世界】に移行します。

 

(ただ移行するといっても、もともと空間も次元も幻想ですから、初めからどこにも行っていないのですが……)

 

 

非物質世界に移行して、物質世界を振り返ってみます。

 

時間と空間の支配からいったん離れてみて、

 

すべての点を眺められる場所から、まだ【今ここにいる自分】がゆるしていないものは何かを見ます。

 

まだ完了していないレッスンはどことどこにあるのかを見ます。

 

もしも、物質界の地球にレッスンが残っているのなら、また物質次元の地球に戻ります。

 

物質次元の地球にはレッスンがもう残っていないのなら、同じ物質次元の地球以外の星に行くかもしれません。

 

地球に戻るとしても(地上に戻ると言ったほうがわかりやすいでしょうか?)、

 

直前に生きた時代と同じ時代なのか、

 

それよりもずっと先の未来の地球なのか、

 

あるいは、もっと古い時代に再生することもあります。

 

 

 

 

もしも、直前に生きていた人生(レッスン)で、

もっとそこで学びたいと思えば、また同じ人生(同じ肉体)に戻ることも可能です。

 

それは気まぐれや感情的なことを理由にして決定されることはありません。

直前に生きた人生へのノスタルジーとか、誰かにもう一度会いたい、そういう理由だけで再生を決めることはありません。

 

あくまでも、その人生経験が『本当の自分』を思い出すためのレッスンとして適しているかどうかという視点です。

 

同じ人生に戻ることが(正確にはまったく同じではありませんが)レッスンとして有意義だと判断されたなら、

また同じ環境、同じ個性に戻ります。

 

これは極端な例ですが、あなたがある日の午後9時きっかりに事故で亡くなったとして、

同じ日の午後8時59分に戻ることも可能です。

しかし、これは同じようでいて違う並行世に行くだけです。

 

つまり、そのとき事故で死んで次の人生を選択するというパターンから、

そのとき事故を回避してそのままその人生で(違う並行世での)レッスンを続けるというパターンに移行します。

 

本人が再生するときは、自分が別の並行世で一度死んでこちらに移行していることはまったく憶えていません。

過去世の記憶は新しいレッスンの妨げになることがあるからです。

 

 

 

他には、あなたが不摂生な生活をして70歳で病気で死んだとします。

そして、その不摂生な暮らしを始めたのが40歳だったとします。

 

「そのターニングポイントである40歳の時点に戻って、そこからまったく違った生き方を選択したなら、 

自分はさらに多くのことを学べるかもしれない」

 

そう判断したなら、そこの時点に戻ることができます。

別に赤ん坊からやり直す必要はありません。

 

 

どこへでも、何にでも、レッスンとして必要なポイントに行けます。

ただし自殺した場合はそうはいきません。(自殺についてはまた別のテーマでお話しします)

 

 

 

多くの人は直前の人生に戻るよりも、まったく違う時代、国、人種、家庭環境などを選びます。

 

なぜなら、その同じ40歳の時点に戻ったからといって、そこから前回と違う生き方を選択する可能性は少ないかもしれません。 

同じ環境、同じ自分に戻ったら、また前回と同じような生き方をくり返してしまう可能性が高いでしょう。

 

 

 

 

 

本当にそれが自分にとって必要なレッスンならば、

 

どこの次元の、

 

どこの時代の、

 

どこの星の、どんな人物にもなれます。

 

母親のお腹にいる胎児から始めることもできますし、

 

先ほどの例のように、ある年齢のある時点から始めることも不可能ではありません。

 

選べますが、選択肢は無限にあるわけではなく、すでにつくられているものの中から選びます。

 

そして、自由といっても偶然のような選択はなく、すべてその人生を選ぶべくして選んでいくようになっています。

 

 

 

 

この概念は、くり返し説明していますが、

 

私たちが個別に分離している魂で、

 

その魂が肉体から肉体へ移動しているという幻想を信じたいとあなたが思うあいだは、まったく理解に苦しむと思います。

 

 

 

 

今、あなたの肉体が死んで非物質世界からこの物質世界を(地上)を見つめるとします。

 

そして、あなたはまだ自分が受けていないレッスン(点の一つ)を見て、そこに再生しようと思うとします。

 

 

 

あなたはその一点に意識を向けます。

 

その一点に焦点を絞ります。

 

そして、そのすでに存在している点、すでにつくられている人生に同化してゆきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

←あなたはこの世界にいて、

 

 

 

 

←再びこちらの世界に戻るというのは正確な表現ではありません。

あなたはスピリットです。

 

そのスピリットの中にマインドがあります。

 

スピリットはどこにも行きません。

 

真実の世界、真実の神霊界を一度も離れることはありません。

 

肉体の中にスピリットが宿ったことはただの一度もありません。

 

スピリットは『神』そのものです。

 

『神』というスピリットの延長した部分が、

 

 

 

私たち『神の子』であり、

一度も個別に分離したことなどない、たった一つのスピリットです。

 

 

あなたはマインドです。

 

マインドは肉体の中にはありません。

 

マインドはスピリットと同様に一度も分離したことはありません。

 

スピリットと同様に、一度も真実の神霊界を離れたことはありません。

 

 

 

 

しつこく言ってごめんなさい。

 

 

 

私たちが今見ているものは夢なのです。

 

すべてはマインドの中で起きているのです。

 

マインドだからこそ、どこにでも行けるのです。

 

マインドだから何にでもなれるのです。

 

マインドの中ですべてがあります。

 

再生とは、

 

輪廻転生とは、

 

マインドの中を行ったり来たりしているだけなのです。

 

こっちの生から、あっちの生へ、マインドの中で次から次へと焦点を変えているだけなのです。

 

 

 

幻想世界そのものに意味はありません。

 

幻想はいずれ消えることがわかっているからです。

 

私たちすべての『神の子』が、自らつくってしまった幻想のすべてを修正した未来はすでに存在しているのです。

 

『神の子』という漁師は、幻想という名の網を投げました。

 

しかし、『神』は即座に「それは幻想ですよ」と否定したのです。

 

『神』は私たち『神の子』が間違いを信じた瞬間(分離を信じた瞬間)、

 

即座に『神の子』が夢から醒める計画を開始したのです。

 

 

 

幻想の網は一瞬で拡がり、一瞬で消えたのです。

 

 

 

その網の中に、私たちの現世、過去世、来世と呼ばれる人生の一つひとつがあります。

 

【今ここ】を生きているあなたも僕も、誤ってつくりだした幻想をたった今見ています。

 

たった今、幻想を真実と信じて、その夢の中にいます。

 

 

 

【今ここ】にいる自分ができるレッスンは、【今ここ】にあります。

 

【今ここ】にいる自分がやるべきレッスンは、【今ここ】にあるものがすべてです。

 

【今ここ】にあるものを、ゆるすこと。それが【今ここ】を生きる自分のレッスンです。

 

 

 

真実と信じるからこそ、執着してしまうことがあります。

 

真実と信じるからこそ、ゆるせない出来事、ゆるせない人がいます。

 

【今ここ】にあなたが生きているということは、

 

この人生が始まる前に、「この人生で起きるレッスンを完了させよう!」と決意した自分がいるということです。

 

 

 

あなたは勇気があります。

 

 

あなたは『神』に似て偉大です。

 

 

この世界に生まれてきた理由は、完璧な存在になるための修行ではありません。

 

 

はじめから『神』と同様に完璧な存在であったことを思い出すために来ているのです。

 

 

 

 

 

そして、あなたが一つのレッスンを完了することは、

 

それはあなたが目の前の問題を否定するのではなく、

 

初めから幻想であったと悟り、逆に肯定してみせることであるわけですが、

 

そのとき、あなたは【時間】を短縮するのです。

 

つまり、一度完了したレッスンはくり返す必要がなくなるということです。

 

点の一つを消すわけです。

 

よって、そのレッスンを受けるはずだった来世と過去世の同様の点(同様のレッスン)も同時に消えるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

物質界で【今ここ】を生きているあなたが、

 

一つの問題をゆるすとします。

(一つのレッスンを完了するとします)

 

 

 

 

 

そのレッスンが残っていたということは、

 

同じレッスンが過去と未来、

 

どこかの過去世、どこかの来世にも残っていたりします。

 

でも、あなたが【今ここ】でそのレッスンを終わらせれば、

 

過去と未来にまたがって存在した同じレッスンも同時に消えてしまいます。

 

【今ここ】を生きるあなたが、一つの点を修正するということは、

 

あなたの過去と未来も同時に修正することになるのです。

 

 

 

それが可能になるのは、

 

あなたが常にいる場所が、

 

肉体の中でもなく、

 

肉体から抜け出した魂でもなく、

 

実在の世界に存在するマインドだからです。

時間のすべてはすでに存在します。

 

それが拡大することはありません。

 

それが永遠に続くことはありません。

 

私たちができることは、自分が経験する時間を減らすことです。

 

時間を増やすことはできません(増やそうとする必要はないですが)。

 

時間は今つくられているように感じますが、すでにつくられています。

 

「今を生きる」とは、すでにつくられているものに焦点を合わせなぞっていくことなのです。

 

一つのレッスンを完了するたび、時間を一つ縮めているのです。

 

縮めて、縮めて、最後にはすべての時間が消えます。

 

 

 

 

 

時間のすべてが消えるとき、それはすべての間違いが修正されたときです。

 

 

時間のすべてが消えるとき、それは『神の子』が完全に幻想と決別したときです。

 

 

時間のすべてが消えるとき、それは私たちがつくりだしたすべての苦しみが消える瞬間です。

 

 

時間のすべてが消えるとき、それは私たちが真実の『神』を思い出す瞬間です。

 

 

時間のすべてが消えるとき、それは『神』がどれほど愛情深く私たちを愛し続けてきたのかを知るときです。

 

 

時間のすべてが消えるとき、それは私たちが本当の喜び、本当の愛を思い出すときです。

 

 

時間のすべてが消えることは、恐怖なんかじゃなく、私たちにとって至上の喜びになるのです。