並行世


 

 

並行世についてお話します。

 

並行世とは俗にいうパラレルワールド、パラレルリアリティと呼ばれる世界のことです。

 

書き方は[並行世]でも[並行生]でもどちらでもかまいません。

 

単純な言い方をすれば、【今ここ】にいる自分とは別の地球、別の宇宙で、

【今ここ】にいる自分と同時間に生きるもう一人の自分が住む世界、並行宇宙といったらいいのでしょうか。

 

並行世のお話は、『ストーリーを変える』の説明と関連することも多いです。

 

 

 

 

赤い点が【今ここ】を生きるあなたです。

 

縦に並んでいる点が並行世です(実際は縦も横もないのですが)。

 

この時間をテーマにしたもので一貫して説明してきたように、この宇宙の始まりから終りまではすべて同時につくられました。

 

過去も、未来も、過去世も、来世も、そして同時間を生きる並行世も、

 

すべては同時につくられ、同時に終わっています。

 

私たちはマインドの中で、すでにつくられ、すでに終わっているものの中に意識の焦点を合わせて、

 

「今、物質世界で生きている」

 

という夢を見ているにすぎません。

 

 

並行世で隣り合っている点ほど、【今ここ】を生きる自分とよく似ています。

 

近い点ほど、ほとんど変わらないといってもいいかもしれません。点がだんだん離れていくにつれて違いも増えていきます。

 

 

 

 

 

 

こんなふうに色のグラデーションでイメージするとわかりやすいかもしれません。

 

 

 

隣り合う色同士はよく似ていますが、微妙に異なりますね。

 

この画像では、並行世は縦に並ぶ色です。

 

 

 

『ストーリーを変える』で説明したように、

 

私たちはイメージできるすべての可能性を同時に経験しています。

 

 

それらを時系列で並べて見たときに、

 

「これは過去世」「これは来世」「これは並行世」というようにカテゴライズするわけです。

 

 

並行世に生きる一つ一つの点は(過去世の自分、来世の自分も同様に)それぞれに【今ここ】を生きている自分です。

 

そして、それぞれの点の存在は、それぞれの独自の視点で世界をつくっています。

 

正確にはつくっているというより、すでにつくられている点から点へ移動しているのですが…。

 

 

点が近いほど、【今ここ】を生きる自分とよく似た環境で暮らし、よく似た容姿をもち、よく似たものの考え方をします。

 

人間関係も点が近いほどほとんど同じです。

 

点が離れていくほど、それぞれの違いが際立ってきます。

 

 

 

 

ここから、並行世に関しての僕の体験をお話しします。

 

この経験は個人差があるのですが、きっと同じような体験をしている人は他にもいるはずです。

 

そしてこれからさらにこのような体験をする人は増えてゆくと確信しています。

 

 

 

 

『ストーリーを変える』でも説明しましたが、

私たちが今いる次元では、基本的に一度に一つのことにしか意識を向けられません。

 

よって通常は他の並行世の自分を知ることはないのですが、 

 

現在の人類と地球自体がアセンション(次元上昇)しているということもあり、 

 

時折ですが、ふと他の並行世の人生を垣間見ることがあります。

 

 

どのように見るのかというと、僕が経験しているのは二つ。

 

一つは、これは経験している人がいちばん多いのではないかと思いますが、眠っているときに見る夢です。

 

夢の中で私たちは実にさまざまな世界を垣間見ています。

 

脳がつくりだした空想世界を見ることがあります。

 

あるいは、俗にいう幽体離脱をして「あの世(幻想の非物質世界)」に戻って、

向こうの世界で自らを浄化したり、ガイドから知識を授かったりすることもあります。

 

過去世の自分を見ることもあります。

 

来世の自分を見ることもあります。

 

その数ある夢の中に並行世の夢も含まれるわけです。

 

 

 

はっきりいえば、すべてはマインドがつくりだしている幻想です。

 

ここでいうマインドというのは、俗に肉体の中にあると信じられている『こころ』と呼ばれるものではありません。 

肉体の外に存在し、肉体をつくりだし、肉体の中に生きていると信じているマインドを指しています。

 

マインドの中でいろんな世界を行ったり来たりしているだけなのですが、そのことはひとまず脇に置いて話を進めます。

 

 

 

並行世の夢というのは、たとえば、【今ここ】の家族と同じ家族が出てくるけれど【今ここ】とは住んでいる家が違うとか、

 

兄弟が【今ここ】より一人増えているとか、両親のうちどちらかがまったく知らない人だとか、

 

住んでいる家は同じだけど、職場が今とはまったく違うとか、

 

夢の中で自分の顔を鏡で見たら髪型が違っているとか、

 

同じように自分の顔を鏡で見たら今とはまったく別人の顔だとか……本当にさまざまです。

 

 

 

しかし、自分の見た夢が並行世の自分自身なのかどうか、それを判断するのはとても難しいですね。

 

【今ここ】の自分とよく似ている夢の場合、並行世の自分なのか、脳がつくりだした【今ここ】の自分の夢なのか、

 

【今ここ】の状況に近ければ近いほど判別はできません。

 

逆に【今ここ】の自分とあまりにかけ離れていると、それが並行世だとはとても思えず、脳がつくりだした突飛な夢としか思えないでしょう。

 

 

 

僕自身が「これは並行世かな」と思える基準にしているのは、目が覚めたときの感覚の違いです。

 

たとえば、何か恐ろしい夢を見て夢から覚めたとき、「あぁ、夢でよかった」とほっとしたりしますよね。

 

あるいは、何かとても楽しい夢を見て、それが夢だとわかったとき、「なんだ、夢か……」とがっかりしたりしますよね。

 

並行世の夢の場合、そういう感覚にならないんですよね。

 

つまり、楽しい夢でも、恐い夢でも、なんの変哲もない夢でも、「夢だったんだな」という気持ちにはならないのです。

 

もちろん、【今ここ】の現実ではないことは自覚できているのですが、

 

その内容があまりにリアルというか生々しいために、夢だと知りながらも夢を見たという感覚になれないのです。

 

だからその内容はいつまでも忘れなかったりします。脳がつくりだす夢はサッサと忘れてゆくのですが……。

 

どういう表現が適切なのかわかりませんが、夢から覚めたとき、非現実から現実に戻ったという感覚ではなく、

 

 

『遠い現実から、今の現実にひょいと帰ってきた』

 

 

というような感覚になります。

 

 

 

こういう場合は夢として見ているものなので、自分の中で特に混乱が起きるようなことはありません。

 

他人に話して「それはただの夢でしょう」と言われたら、そうかもしれないなって思えるかもしれません。

 

しかし、これとは別に、もっと明確にはっきりと「これは並行世だ」と思えるパターンがあります。

 

それはこんなふうに起こります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠っているときではなく、完全に目が開いているときに起こります。

 

 

 

たとえば仕事の合間の休憩中とか、自宅のリビングでのんびりリラックスしているときなんかに起こります。

 

 

 

あるほんの短い時間、完全に別の自分の人生に飛ぶのです。

 

 

 

個人差があると思いますが、僕の場合は大抵数秒から数分の間です。

 

 

 

【今ここ】の自分の中に、ある並行世の自分の記憶が入ってきて、その短い時間の間だけ完全に入れ替わるのです。

 

 

 

だから、その間だけ【今ここ】の自分に関しての情報は一切なくなります。

 

 

 

自分の名前や職業、家族のこと、住んでいる場所、今どこで何をしているのか、これまでどんな人生を送ってきたのか、

 

 

 

完璧に自分の中から消えるのです。

 

 

 

 記憶喪失ではありません。

 

その時間、別のアイデンティティとしての記憶が入ってきているわけです。

 

 

 

【今ここ】の記憶が消える代わりに、別の自分の記憶がそっくり入れ替わるのです。

 

 

 

それは完璧に起こります。

 

 

 

これは俗にいう『白昼夢』といっていいかもしれません。 

 

 

 

 

僕の場合、記憶が入れ替わるとき、そんなに今の自分とかけ離れた人生になるわけではありません。

 

 

 

目が開いてますから、自宅にいるときなら「今、自分の家にいる」という自覚はちゃんとあります。

 

どこか別の場所に行っているわけではありません。

 

でも自宅にいながら、自宅にいるという感覚がないこともあります。

 

 

 

 

本当に説明するのが難しいのですが、そのわずかな時間は、こちら側の自分(今ここの自分)のことは完全に忘れています。 

 

 

その間の記憶では、こちら側ではどこの誰だか知らない人間が出てきたりします。 

 

 

 

ただ向こう側(並行世の自分)にいる間は、こちら側の記憶はまったくありませんので、

 

今自分が別の記憶を見ているという感覚はまったくなく、こちら側に戻ったあとでそうわかるのです。 

 

 

 

その間の自分は、そっちの記憶しかないので、まさにその瞬間は【今ここ】を生きているだけです。

 

 

こちら側に戻ったあと、こちら側では行ったことのない場所の記憶がぼんやりとある場合もあります。 

 

 

 

 

僕の場合、こういうことは頻繁に起こるわけではなく、忘れている時にふっと起こります。 

 

たしかプレアデス星人をチャネリングした本に書かれていたと思うのですが、 

ほんの短い時間、ふと別の並行世に移動する(垣間見る)経験は、人類がアセンションするにつれて増えてゆくとありました。 

 

 

今はまだ一つの人生にしか意識の焦点を合わせられないけれど、将来的に人類が進化するにつれ、 

2つ3つの並行世を当たり前のように行き来することができるようになるらしいのです。

 

 

 

たとえば、今いる人生がAという人生ならば、何分間か何時間はBという人生を生きて、

 

またAという人生に戻って、 

 

それから今度はCという人生にジャンプして、またAという人生に戻る。 

 

 

そんなふうなことができる人がだんだん増えてゆくらしいのです。

 

 

 

 

 

ただ、僕の場合、今それを当たり前のようにできているわけではありません。  

 

なぜなら僕はまだいちいち混乱しているからです。  

 

数秒間から数分のあいだ向こうの自分になって、また【今ここの自分】に戻ってきた瞬間、向こうの並行世の記憶はありません。 

 

 

どこの誰だったか、何をしていたのか、ほとんど憶えていません。  

 

しかし、「今たしかにここの自分とは違う自分だった」という記憶だけが残るのです。 

 

 

 一瞬で記憶が完全に入れ替わるわけですが、「今たしかに別の自分だった」という記憶だけが残るので、

 

今何が起きたかを把握するまでに時間がかかるのです。

 

 

誤解されると困るのですが、いわゆる多重人格とは違います。

 

並行世を経験している時間は、こちら側の誰とも関わることはありませんし、こちら側で何か行動することもありません。

 

しかし、どこかの精神科医がこれを読んだら何かしら病名をつけられそうですね。笑

 

 

 

たとえばこういうことが何度かあって困るのですが、 

 

向こう側に行っているとき誰かに電話をかけようとしていたらパッとこちら側の自分に戻ってきたりした場合です。

 

 

 

戻った瞬間、一瞬で記憶が入れ替わるので、電話をかけようとした相手が誰なのかまったくわからないのですが、 

 

戻った直後は、「今、誰かに電話しようとしていた」とか、  

 

「○時までにその人と会う約束をしていた」という記憶だけは残っていたりするのです。  

 

 

 

だから、自分の中を整理するのに(今どっちの自分を生きているのか)時間がかかったりします。 

 

 

しばらくの間、ボーっとしてしまったりします。 

 

 

 

 

 

 

 

この世界は、私たちのマインドの中を投影した幻想の世界です。

 

 

私たちの体験、私たちが見るものすべては、私たちのマインドの中にあるものの象徴にすぎません。

 

 

こういった並行世を行き来するような体験もまたマインドの象徴です。

 

 

これは、僕のマインドが【時間や空間という幻想】からだんだんと解放されはじめた証拠であり、

 

 

やがては誰もが経験するプロセスだと思っています。

 

 

 

 

自分の並行世がどんなものなのか、知る必要があるわけではありません。

 

知らなくても何ら困るわけではありません。

 

知らないと生きていけないわけでもありません。笑

 

 

 

では、なぜこうして書いてるのかというと、

 

あなたは常にさまざま可能性を同時に生きているんだということを頭の片隅に置いておいてほしいからです。

 

 

 

「今この瞬間、さまざまな経験をしている自分が同時に存在しているんだ」

 

そう信じられるようになると、

 

自分が今置かれている環境や状況を受け入れられたり、

 

長いことゆるせなかった誰かのことをゆるせるようになったり、

 

あるいはこれまでの自分自身のことをゆるせるようになることがあるからです。

 

 

 

多様な自分が常に同時に存在すると信じられることで、

 

【今ここ】を生きる自分の気持ちが楽になることがあるからなのです。

 

 

 

もしもあなたが容姿に恵まれずに悔しい思いをしているとします。そして、美しく生まれた誰かを妬んでしまったとします。

 

「美しく生まれたあなたには、私の気持ちなんかどうせわかりっこないわ」

 

なんてぼやいたりしているとします。

 

 

けれど、そんなあなたも別の並行世ではまったく逆の立場を経験しています。

 

別の並行世では、あなたが美しい容姿に生まれ、

 

「あなたは良いわよね」

 

などと誰かの妬みやグチを聞かされていたりするのです。

 

 

 

 

お金に苦労する毎日にうんざりし、

 

「お金持ちにはこんな苦労はわかんないでしょうね」

 

と嘆いているとしても、

 

別の並行世では、あなたがお金持ちで、お金持ちであるがゆえに様々なしがらみにうんざりしているかもしれません。

 

 

 

【今ここ】の自分が、自分という存在のすべてだと思ってしまうと、

 

今、自分が置かれている状況をゆるせなくなって後悔ばかりしたり、他人のことを妬んだりするようになります。

 

 

 

あなたという存在は今この瞬間、さまざまな人生を同時に生きています。

 

無数のあなたがいるといってもいいでしょう。

 

そして、その無数の人生のどれも『正解』ではなく、

 

どれも『間違い』ではありません。

 

 

私たちが時折間違いを犯すのは、

 

自分の願いが叶った人生を『正解』とし、

 

叶わなかった人生を『間違い』と思ってしまうことです。

 

 

くり返し言いますが、どんな人生であれ、この人生のすべてはマインドがつくる『夢』なのです。

 

『夢』や『幻想』の類に正解も不正解もないのです。

 

『夢』や『幻想』には特定の意味は初めから存在しないのです。

 

 

 

あなたが今どんなあなたであれ、今どんな状況下にいるのであれ、

 

それは、【今ここ】の自分、【今ここの点の上にいる自分】にしか経験できないことです。

 

多少似通った並行世があるかもしれませんが、まったく同じものは一つもありません。

 

 

 

別のテーマ『起こる出来事はまだ終わっていないレッスンです』でも書きましたが、

 

もしも【今ここ】の自分の人生が、望んだ通りの人生とは程遠いものだったとしても、

 

その状況はレッスンとして起きているのです。

 

この先、あなたが『本当の自分とは何なのか』を思い出すためのレッスンです。

 

同時にそれは、この幻想世界から卒業して『神』と共にいる実在の世界に戻るためのレッスンでもあります。

 

 

 

『良い人生』と『悪い人生』の二つがあるわけではありません。

 

『望み通りの人生』は『その望みが叶うことを信じた人生』であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

 

『望みが叶わなかった人生』は『その望みが叶うことを信じられなかった人生』であり、それ以上もそれ以下でもありません。

 

 

 

どちらの人生も、あなたがそれぞれを同時に選択した結果であり、

 

それぞれの人生、それぞれのパターンから同時に多くを学んでいるのです。

 

 

『望みどおりの人生』も『望みが叶わなかった人生』も、

 

どちらかに価値があり、どちらかが無価値と思うのは幻想にすぎません。

 

 

どちらの人生も、あなたが『本当の自分になるためのレッスン』として同時に選択した人生です。

 

どちらの人生からも同じくらいたくさんのことを学び成長できると信じられたら、

 

この二つの人生は『等価値』になるのです。

 

 

どんな人生であっても、そのパターンの、その立ち位置からでしか気づけないことがあるのです。

 

そのパターンの視点からでしか学べないことがたくさんあるのです。

 

結局、どんな人生であれ、その人生を一度は経験しなくては先には進めないのです。

 

 

先とは、『本当の自分を思い出す』というゴールです。

 

 

「望み通りの人生を生きたい」と思ってもいいです。

 

でも、まずは【今ここにある人生】を受け入れることから始めなくてはいけません。

 

否定し続けるのではなく、

 

レッスンとして肯定することから始めるのです。

 

 

そういう意味では、あなたが並行して経験するすべての人生は【全部正解】なのです。

 

 

 

 

 

 

赤い点が【今これを読んでいるあなた】とします。

 

あなたの周囲には、無数のあなた、無数の自分が拡がっています。

 

たくさんの並行世の自分。

 

たくさんの過去世の自分。

 

たくさんの来世の自分。

 

 

 

ここで一つ疑問に思いませんか?

 

 

いったいどこまでが【自分】なんでしょうか。

 

 

【今ここ】の自分と極めてよく似た自分がいます。

 

その逆に【今ここ】の自分とは似ても似つかない自分もいます。

 

どこまでが【自分】でしょうか。

 

どこまでが【自分】という存在で、どこからが【他人】という存在なんでしょうか。

 

 

私たち肉体意識(フィジカルマインド)が信じている【自分とはこうである】という定義は、

 

実はとても曖昧で、おぼろげなものなのかもしれません。

 

 

 

 

あなたのパートナーも、

 

あなたの親兄弟も、あなたの子供も、

 

あなたの友人も、

 

あなたが大嫌いなあの人も、

 

電車で隣りに座るどこの誰だか知らない人も、

 

本当は全部【自分】なんです。

 

 

 

あなたが『自分の他にたくさんの他人がいる』という概念を必要としているあいだは、

 

あなたにとって【自分】という存在は、とてもちっぽけな存在であり続けるでしょう。

 

 

そして、そのあいだは、あなたは『本当の自分』を思い出すのを遅らせてしまうでしょう。

 

 

 

 

 

あなたは自分で思っているよりはるかに大きな存在です。

 

 

全部あなたです。

 

 

この宇宙すべてが【あなた自身】なのです。

 

 

凄いのです。

 

 

あなたという存在は、あなたがイメージするよりはるかに偉大なのです。