あなたの人生は、あなたの視点でつくられたあなたオリジナルのストーリーです。
このストーリーはさまざまな人と共有しているものの、ストーリーの中であなたが体験する出来事はあくまでもあなたの視点でつくられています。
この人生のストーリーは、
毎瞬毎瞬、何かを選択し、
毎瞬毎瞬、過去に自分が選択した何かしらの結果を受け取ります。
すべての瞬間は、何かに向かってゆくためのプロセスであり、
望んだこと、望まなかったことに関わらず、何かしらの結末ということになります。
人生は一本の直線ではありません。
起こることすべてにつながりはなく、一瞬一瞬の出来事は点状に散らばっています。
そのうちの一つの点にマインドが意識を向けること、これが『今ここを生きる』ということになります。
何度も書いていますが、マインドは体の中にはありません。
体の外にあって、体の中に存在しているという夢を見ているだけです。
その散らばった点をエゴがつくった【時間の流れ】という制約に基づいて、
マインドは過去の点から現在の点へ順番に一個ずつ意識を向けていきます。
この意識を向けるスピードを高速にすると、時間が直線的に流れているような錯覚が起こります。
これが私たちが感じる【時間の流れ】だということは、映画撮影や駅伝の例で説明しましたね。
今回は、毎瞬毎瞬、自分の人生のストーリーがどのように変化しているのかを解説してみようと思います。
とっても単純に説明してみます。
あなたは飲みものを買おうと自販機の前にいるとします。
あなたは、
コーヒーにしようか、カフェオレにしようか、それとも紅茶にしようか、緑茶にしようか迷っているとします。
あなたはそのときその4種類の飲みものをたしかに飲みたいと感じています。
そして迷ったあげくカフェオレのボタンを押しました。
あなたがカフェオレを選んだストーリーはこうです。
あなたは自販機の前に立った。
↓
4つの飲み物のうちどれにしようか迷った。
↓
結局カフェオレにした。
あなたが振り返ることができるのはこのストーリーだけです。
あなたは4つのうちの一つだけを選んだと思います。
しかし、実際は違います。
実はあなたは4つの飲みものそれぞれを購入しているのです。
赤い点が【今ここを生きるあなた】だとします。
縦の結び目が【並行世(パラレルワールド)】です。
今ここを生きる赤い点に近い点ほど、今ここを生きる自分に限りなく似ている自分になります。
過去と未来は同時につくられたので、すべての可能性はすでにつくられて、すべて同時に存在しています。
私たちが何かを選択するとき、つまりこのたとえの場合は飲みものを選ぶときですが、
選ぼうと迷う時点で、飲みものを買い終えた自分がすでに存在しているということになります。
あなたが4つの飲みものの中からどれにしようか迷うとき、この瞬間に未来がつくられているように錯覚してしまいます。
しかし、すでにこの時点で未来はあるのです。
あなたが自販機の前に行く前から、あなたが何を選ぶのかはすでに決まっています。
買うときに、4つの飲みものそれぞれを飲む自分をイメージできたなら、
4つそれぞれを買っている4つの未来を生きている自分がすでに存在しているのです。
もしもそのときカフェオレしか選ばない未来しかないのだとしたら、あなたは何も迷うことなくカフェオレのボタンを押します。
あなたが「どれにしようか…」と迷うのは、
コーヒーを飲んでいる自分、
カフェオレを飲んでいる自分、
紅茶を飲んでいる自分、
緑茶を飲んでいる自分、
存在している【それぞれの未来の自分】、【それぞれの並行世の自分】の存在を感じ取っているからなのです。
すでに存在しているからイメージできます。
すでに存在しているから迷うのです。
結局、4つ全部選んで、4つそれぞれ飲んでいるのです。
今ここでカフェオレを飲んでいる自分は、4つのうちの一つの並行世に意識を向けている自分です。
マインドは常に体の外側にいます。
マインドは体の外側にいて、そのマインドの中で、
体の中にいるという夢を見ているマインド(フィジカルマインド)と、
体は幻想であり最初から存在していないことを完全に自覚しているマインド(ハイヤーマインド)とが分かれてしまっています。
マインドに、
カフェオレを飲んでいる自分だけに集中して意識を向けている部分と、
4つの飲みものそれぞれ飲んでいる4つの可能性に同時に意識を向けている部分があります。
肉体で生きていると信じている【今ここ】のあなたは同時に一つの自分にしか意識を向けられません。
だから過去から現在、そして未来へのストーリーを直線的にイメージせざるを得ないのです。
私たちの人生は『あみだくじ』のようなものです。
生まれてから死ぬまでが一つの長いあみだくじのようなものです。
人生全体で一つのあみだくじのようなものであり、
一瞬一瞬、小さなあみだくじが連続しているようなものかもしれません。
想像できる可能性のすべてはすでに存在しています。
それらすべてはすでに選ばれています。
それぞれを選んで経験しているあなたが同時にいます。
あみだくじのすべてを選択し、それぞれ違ったすべての結末を同時に経験しているのです。
ときに選択肢は無数にあります。
それらすべてを同時に経験しています。
「カフェオレを選んで正解」と思っている自分と、「緑茶を買って失敗した」と思う自分が同時に存在しています。
あるいは、「カフェオレを買って良かった」と思う自分と、「カフェオレを買うんじゃなかった」と思う自分も同時に存在するかもしれません。
【今ここ】でカフェオレを飲んでいるあなたは、
カフェオレに意識を向けた一つの可能性であり、
いくつもに分かれた並行宇宙の一つであり、
いくつもの波動の一つであり、
『カフェオレを飲んでいる未来』を信じた一つの自分です。
瞬間瞬間が、小さなあみだくじとなり、
それらを一つに集約し、人生全体が大きなあみだくじとなります。
朝起きてから夜眠るまで(あるいは眠っているあいだも)、あなたは何かを選択し続けています。
朝、目覚ましが鳴って、すぐに起きるのか、あと5分布団の中にいるのか、
あるいはトイレを先に済ませるのか、携帯の着信をチェックするのか、
今日どこへ行くのか、誰と会うのか、
どんな服を着るのか、顔を先に洗うのか、飲みものを先に飲むのか、
常にあなたは何かを選択し、その結果を受け取り続けますが、
考えられる選択肢、想像できる選択肢は、結局全部選んで、その結果も結局は全部受け取っているのです。
昔から『未来は今この瞬間につくられている』という概念があります。
それはある意味においては正しくもあり、ある意味においては間違っています。
正確には、
選択できる可能性はすでに決まっており、
しかし、その選択肢は無数にあり、
それぞれの可能性を並行世の自分がすべて選んで、
その選んだ結果もそれぞれの並行世の自分がすべて受け取っているということになります。
私たちは、これを毎日、毎時間、毎分、毎秒、くり返しています。
【今ここ】を生きるあなたがどんな環境でどんな体験をしているか、それは過去のあなたが信じた未来の一つにすぎません。
あなたは、何かを選んで、代わりに何かを捨ててきたわけではありません。
そんなふうに見えているだけです。
あなたは常に想像できるすべての可能性を同時に経験しているのです。
縦に並ぶ点が【並行世】の自分として、
仮に、【今ここ】を経験している自分(赤い点)をA±0とします。
あなたが今ここでA±0を経験しているということは、あなたは今ここで【A】という波動になっているということです。
言い方を変えると、【A】という可能性を信じたのでA±0の上にいるといえます。
【A】という可能性を信じたあなたが経験する未来は、【A】の未来、すなわちA+1であり、A+2ということになります。
そして、あなたが自分の人生を振り返った時、つまり過去を見ようとするとき、見える過去はA-1であり、A-2になります。
あなたが【A】という波動にいるかぎりは、あなたが進む未来はA+だけであり、あなたが振り返ることができる過去もA-だけです。
でも、今は【A】という点の上にいるからといって、これからもずっと【A】という未来、【A】というストーリーだけを経験してゆくわけではありません。
【今ここ】のあなたが波動を変えることによって、
【今ここ】のあなたが別の可能性を選択するとき、それはつまりあなたがある時点で何かしらに対しての自分の信念を変えるということですが、
そのときあなたは別のストーリーに移動してゆくことになります。
あなたが【A】という波動から、【C】という波動に変わったとき、
あなたは【C】というストーリー上にひょいと移動したことになります。
赤い点から青い点に移動したあなたが経験するのは当然【C】というストーリーです。
【C】というストーリーで経験する未来は、当然C+1であり、C+2になります。
そして、あなたが自分の過去を振り返るとき見える過去はC-1であり、C-2になります。
あなたはA±0からC±0に移動した時点で、【A】という自分のストーリーを生きていたことを忘れます。
現在の3次元の地球では(すでに5次元という説もありますが)、肉体意識が同時に意識を向けられるものは一つだけという制限があるからです。
(このことについてはもう少し詳しく『並行世』で説明しています)
【A】というストーリーから、【C】というストーリーに移動しても、さっきまでいた【A】というストーリーはそのまま存在しています。
なぜなら、先に説明したように、すべての点は同時につくられており、すべてが終わる瞬間(夢が終わる瞬間)も同時です。
すべての可能性、すべてのストーリーは同時に進行します。
私たちは点をつくりだしながら生きているのではなく、
すでにつくられている点をなぞっているのです。
【C】というストーリー上にいるあなたはもう【A】というストーリーは経験できません。
【A】という過去を見ることもありません。思い出すことはありません。
【C】というストーリー上のあなたにとって、【A】というストーリーは幻想になってしまいました(全部幻想なのですが…)。
こんなふうにして私たちはたえず自分が経験する未来を変えると同時に、
記憶している過去も変えているのです。
あなたが今【A】というストーリーの上にいて、忘れたいけど忘れなれない過去があるとするなら、
今ここのあなたはずっと【A】という波動にしがみついているということです。
【A】という波動のままで居続けているからこそ、【A】という過去がいつまでも後ろについてくるのです。
信念が波動をつくります。
自分が、自分自身について何を信じているのか、それがその人の波動です。
それが今のあなたの波動です。
仮にあなたが自分自身を「弱くてもろい存在」と信じるなら、
あなたが経験するストーリーは、そのあなたの波動に忠実に沿った「自分は弱くてもろいと思わされるストーリー」になってしまいます。
【今ここ】のあなたが、見たくないものを見ているのだとしたら、ストーリーを変えるしかありません。
誰のストーリーも、しょっちゅう変わっています。
大きく変わるか、小さく変わるかの違いはありますが、たえず変化し続けます。
でも全部同時に存在します。全部同時に進行します。
【今ここ】で、あなたはそのうちの一つだけを見ます。
違うストーリーが見たければ、違う自分を信じるしかありません。
自分が望んでいる自分自身を信じてみるしかありません。