時間のはじまり


 

この世界がつくられることになった詳細については【私たちのはじまり】を先に読んでください。

 

 

『神』と本当の私たちである『神の子』がいる実在の世界は、すべてが一つの世界です。

 

すべてが一つであり、

 

一部分はつねに全体でもあります。

 

何一つ分かれることはなく、何一つ違いを生み出さない世界です。

 

常に『神』と共にいる世界です。(肉体の私たちも『神』と共にいるのですが……)

 

すべてが『愛』そのものです。『愛』以外の何かが入り込む余地はまったくありません。

 

大いなる喜びが常にあり、その大いなる喜びを拡大する目的で創造をくり返す世界です。

 

そして、すべてが永遠に存在する世界です。

 

 

 

私たち『神の子』は、『神』によって創造された瞬間、『神』から分離したと信じてしまいました。

 

その瞬間、この宇宙はつくられました。

 

この宇宙は、『神』そのものである実在の世界とはまったく正反対につくられています。 

なぜ正反対につくられているかといえば、本来、創造は『神』と共に行われるものだからです。

 

『神』と共に行われるということは、『神』がつくらないものは『神の子』もつくることはできないということです。

 

 

 

『神』は分離したものはつくりません。

 

すべてが『神』そのものであるのに、

『神』以外の別の何かをつくりだすことはできませんし、『神』にはその概念すらありません。 

 

 

でも『神の子』は分離を信じました。

 

分離を信じたために、

『神』と同じように創造の力を与えられていた『神の子』は、『神の世界』とは別にこの宇宙をつくりました。

 

しかし先に説明した通り、『神』がつくらないものは『神の子』もつくれないために、この宇宙のすべては幻想ということになります。

 

 

 

この宇宙は、『神』が加担していないために、すべてのものが【分離】した世界になってしまいました。 

 

すべてが分離しています。人もモノもすべてです。

 

私たち人間やモノを構成する一個の原子ですら、原子核とその周りにある電子は分離していて、けっして一つになることはありません。

 

 

 

そして『神の子』がつくりだした幻想の代表格が、私たちが日々信じている【時間】です。

 

【時間】イコール【変化】です。

 

【時間】イコール【誕生→老い→死】です。

 

 

 

実在の世界では、常に【今】があるだけです。

 

『神』と共にいる世界では、常に【今】にすべてが含まれています。

 

たえずそこにあるのは【永遠】だけです。

 

 

拡大することがあっても、変化はありません。 

実在の世界の創造はたえず自らを拡大することであり、自らにないものをつくりあげることはありません。

 

 

この宇宙をつくることに『神』が加担しているのであれば、この世界にも永遠なるものはつくれたかもしれません。

 

しかし、『神』はこの宇宙の創造には加わっていません。

 

よってこの宇宙は、

すべてが『神』がつくらないもの、 

すべてが『神』がつくるものとは正反対のものになってしまっているのです。 

 

永遠とは正反対の【変化・死】というワードをもとにこの宇宙は一瞬でつくられました。

 

 

 

 

 

【時間】は一瞬でつくられました。 

一瞬で時のはじまりから時の終りまでつくられたのです。

 

ここが大変重要なポイントです。

 

【時間】は永遠ではありません。 

この幻想宇宙に永遠なるものは一つもありません。

 

ならば、この宇宙そのものもやがて終わるということになります。

 

【時間】の終焉もすでに決まっていることになります。

 

 

 

 

私たちは【時間】を直線的にイメージします。

 

【時間】はたえず今、現在進行形でつくられ続けているとイメージしています。

 

しかし、くり返しますが、この宇宙に永遠は存在しません。

 

 

 

 

順を追って説明してみます。 

 

 

 

一人の漁師が投網をしています。

 

この漁師が『神の子』だと思ってください。

 

『神の子』は永遠の代わりに、【変化】や【終り】を含めた【時間という網】を、自らの外側に投げました。

 

実際には外側なんてものはないので、すべては『神の子』のマインドの中で投げられただけです。

 

 

 

 

網目があります。

 

この網目の一つ一つが【今ココ】だと思ってください。

 

 

 

網目を単純化してみました。

 

 

 

仮に赤い点を【今ココにいる自分】だとします。

 

右へ行くと過去、左へ行くと未来があります(もちろん右とか左はたとえです)。

 

縦の線が並行世です。並行世についてはテーマを分けて説明します。

 

 

 

漁師は網目の一つ一つを順番に海に投げるわけではありませんよね。

 

一度に網のすべてを投げ入れます。

 

『神の子』も同様に、【時間という網】を一気に投げました。

 

 

 

私たちは普通【時間】というものをこんなふうにイメージします。

 

 

私たちのマインドが【時間】のすべてをつくっています。

 

マインドはこの世界を、自分の外側につくったと信じています。

 

そして、マインドはリアルタイムで、一瞬一瞬、時間の流れをつくり続けていると信じています。

 

でもこれは間違いです。

 

こちらのほうがより正確です。

 

 

 

過去、現在、未来のすべてが同時につくられました。

 

この宇宙のはじまりから、この宇宙の終りまで、すべてはすでにつくられています。

 

『神の子』は『神』との共同作業でなければ永遠なるものはつくれません。

 

だからはじまりと同時に、終りもつくられたのです。

 

 

別の言い方をすれば、『神の子』が最初に分離を信じたとき、『神』は即座にそれを否定してみせたのです。

 

よってこの宇宙を創造した夢は、一瞬でつくられたと同時に一瞬で終わったのです。

 

 

もしもそうでなければ、

 

もしも『神の子』の幻想に終りがないのであれば、

 

『神』は『神の子』の創造に失敗したことになります。

 

 

 

完全なる存在の『神』は、自らの資質をそのまま拡大して『神の子』をつくったのです。

 

よって『神』が完全ならば、『神の子』も完全なのです。

 

 

 

『神』は何一つ間違いを犯しません。

 

『神の子』が分離したと疑い、【分離の夢】を見て、夢の中で葛藤し、苦悩しているのを見て、

 

『神』が自分の子をそのままにしておくはずはありません。

 

 

『神』は分離を否定し、『神の子』もそれを受け入れたのです。

 

 

 

 

【時間】という網は、

 

【宇宙】という幻想は、

 

実は一瞬で終わっているのです。

 

 

 

 

私たち肉体意識は、

 

マインドの中で【分離】を信じている部分は、

 

その一瞬で終わったものを、ゆっくりゆっくり追体験しているようなものなのです。

 

 

 

たとえるなら、一本の映画を一コマずつスローモーションで見ているようなものです。

 

映画はすでに完成しているから鑑賞することができます。

 

映画のストーリーはリアルタイムで起きているのではありません。

 

映画はすでに完成しているから観ることができるのであり、一枚のDVDに【はじまりと終り】が存在しています。

 

映画の中のストーリーは、すでに終わっているストーリーです。

 

観ている物語は永遠に続くわけじゃなく、2時間後には終わると決まっているのです。

 

 

 

 

私たちのマインドは、一気につくられた【時間の網】の、

 

過去という網目から、

 

未来という網目に向かって、

 

一つ一つ順番に意識を向けていき、

 

順番に見てゆくことで、【時間の流れ】を感じているだけなのです。

 

 

 

 

私たちは、

 

この人生で、

 

すでに終わっているものを、

 

あなたかも今経験しているかのような夢を見ているだけなのです。

 

 

 

 

(違うテーマで、さらに違う表現で説明していきます)