LGBTQについて


多くの方はご存知かと思いますが一応説明すると、

 

LGBTQとは性的マイノリティの人を指しており、

 

L(Lesbian)=レズビアン(女性で女性を恋愛対象にする人)

G(Gay)=ゲイ(男性で男性を恋愛対象にする人)

B(Bisexual)=バイセクシャル(同性と異性の両方が恋愛対象の人)

T(Transgender)=トランスジェンダー(自分が生まれもった性に違和感を持つ人)

Q (Queer/Questioning)=クイア/クエスチョニング(自分の性的指向が自分でもはっきりしない人)

 

ということになります。

 

 

 

「女性エネルギーと男性エネルギー」と同様にここでの説明は医学的見地によるものではなく、

あくまでもスピリチュアルな視点でのお話しです。

 

 

 

 

【性的マイノリティのエネルギー】

 

 

LGBTQの人、性的マイノリティの人が相手に何を求めるのかについては、

 前回の「女性エネルギーと男性エネルギー」と基本的な理由は同じです。

 

 

異性のカップルと同様に、自分のマインドで欠落しているものを(欠落していると思い込んでいるものを)相手に求める人が多数派です。

 

 

 

 

男性エネルギーをもった男性がどうして同じ男性エネルギーを求めるのか、

 

女性エネルギーをもった女性がどうして同じ女性エネルギーを必要とするのか、

 

異性愛者にはなかなか理解しにくいかもしれませんが、波動、エネルギーの有様は100人いたら100人とも違っています。

 

 

 

 

異性同士に限らず、同性同士でもお互いが発しているエネルギーは違っています。

 

エネルギーは常に体から生まれるのではなく、マインド(性格にはフィジカルマインド)から生まれています。

 

 

女性だから生まれつき完全な女性エネルギーをもっているわけではなく、 

 

男性だから生まれつき完全な男性エネルギーをもっているわけではありません。

 

 

 

単純な言い方で説明すると、同性を求める場合、

 

「自分には異性のこれとこれのエネルギーはすでにある。でも同性のこのエネルギーとこのエネルギーは足りてない気がする」

 

そうマインドの中で感じていれば、それを同性に求めるわけです。 

 

 

 

同性のエネルギーを欲していれば必ずその人を恋愛対象として見るとは限りません。 

 

たんなる憧れの対象、尊敬の対象として見るだけのこともあります。友人関係で満足することもあります。

 

 

 

 

女性エネルギー、男性エネルギーそれぞれに属するさまざま個性をもったエネルギーがあり、

ある人が発しているエネルギーと別の人の発しているものが違っていたりするので、それがその人の個性と呼ばれたりするわけです。

 

 

  

面白いことに同性のカップルでも、どちらかが男性的な役割を担い、どちらかが女性的な役割を自然に担っていることがあります。

これは同性愛者であっても、異性のエネルギーをまったく必要としないわけではないからです。

たとえば、「どちらかというと同性のエネルギーを中心に欲しいけれど、異性のこういうエネルギーは欲しい」と感じていれば、

同性の相手から、同性のエネルギーと同時に、必要としている異性エネルギーも一緒に求めるわけです。

 

 

 

 

 

 

     【性的マイノリティというレッスン】

 

 

 

同性愛者だろうが異性愛者だろうが、共通していることは、生まれてくる前に自分がどういう性的指向になるのか承知のうえで生まれてくるということです。

 

 

私たちは結局すべてを経験するのです。

 

無数の並行世、無数の過去世や来世、それらを通じて、あらゆる立場の生き方を経験するのです。

 

それらのすべてを体験する理由は一つ、

 

それらすべてを『ゆるせるようになるため』です。

 

 

 

 

この世界は【分離】を信じたために誤ってつくられた幻想の世界です。

 

そして『神』からの【分離】をしてしまったという罪悪感をもとにしてさまざまな状況がつくられています。

 

私たちがその幻想の一つひとつを真実と信じて反応してしまうことでこの幻想世界は維持されるわけですが、

 

その反応とは「何かをゆるせない」という思いです。

 

 

 

 

私たちがこの世界にくり返し生まれてくるのは、この幻想世界に存在するすべての経験をゆるすことです。

 

 

ゆるすとは、「ゆるせないと思うこと」をあえて肯定してみせること。

 

到底受け入れられないと信じているものを受け入れてみせることです。それが私たちのレッスンです。

 

 

それを受け入れてみせることで、それを見過ごせるようになるのです。

 

受け入れられないと、いつまでも見過ごすことができません。

 

 

 

 

目の前にあるものが何であれ、心からそれをゆるせるようになることで、それを幻想として消去してゆくのです。

 

真実だと見て、真実として反応していれば、そのレッスンは終わらないのです。

過去世から来世にまたがって同じレッスンはくり返されてしまうのです。

 

 

 

誰もが、異性愛者としての人生を生き、誰もが同性愛者としての人生を生きるのです。

 

つまり、今生で同性愛者という経験をしている人は、単純な言い方をすれば、

他の人生で(過去世や来世)まだ同性愛という経験をゆるしたことがないということになります。

 

人生で起きる経験のすべては、私たちがゆるせるようになるためのレッスンです。

 

現在、同性愛を経験している人は、それが必要なレッスンだからです。

その人生経験を受け入れないかぎり、先には進めないからです。

 

 

同性愛者に偏見があったり差別をしてしまう人もまた、まだそれをゆるしたことがない人です。

 

まだゆるしたことがないということは、その人は来世で自分も同性愛者としての経験をすることになります。

 

私たちは、マインドの中で「これはゆるせない」と信じていることを自分の外側に投影しているからです。

 

 

 

 

 

同性愛者に偏見をもったり差別してしまうのは、

 

①「まだ他の生でそういう経験がない」

 

②「別の生で同じ経験をしたけれど、そのときの同性愛者だった自分のことがゆるせなかったから」

 

③「同性愛者だったときの自分を差別したり傷つけた人たちをゆるせなかったから」

 

のいずれかだったりします。

 

 

 

相手のことが「ゆるせない」という思いは、相手の気持ちが理解できないからです。

 

偏見をもつ側は、偏見をもたれる側の気持ちがわからないように、

 

偏見をもたれる側も、偏見をもつ人の気持ちはわからなかったりします。

 

 

だったらそれをゆるせるようになるために、そのレッスンを終わらせるために、

相手と同じ立場を経験し、それをゆるしてみるしかありません。

 

 

だから、今これを読んでいる人で同性愛に嫌な感情をもってしまう人がいるなら、

その人は確実に別の生で同性愛を経験することでしょう。

(厳密にはすでになっているのですが……)

 

 

 

性的マイノリティは社会の偏見や差別があるとわかっていても、

 

「あえてそのレッスンを受けてみよう」

 

と生まれてきた勇気あるチャレンジャーたちです。

 

 

 

 

私たちは本当は肉体ではありません。

 

本当の私たちはスピリットです。

スピリットに性別はありません。それが私たちの本当の姿です。

 

 

『神』は男と女などと『神の子』を二つに分けたことなどないのです。

 

 

 

男性に生まれた人は、「自分は男性である」という夢を見ているだけです。

 

 

女性に生まれた人は、「自分は女性である」という夢を見ているだけです。

 

 

異性愛者は、「自分は異性しか愛せない」という夢を見ているだけです。

 

 

同性愛者は、「自分は同性しか愛せない」という夢を見ているだけです。

 

 

 

私たち『神の子』はたった一つのスピリットです。

 

私たち『神の子』はたった一つのマインドです。

 

私たちは、たった一つの存在なのに、無数に分裂してしまったと信じる多重人格者です。

 

 

 

 

性別を乗り越えて誰かを愛するという行為は、

 

 

『偏見や差別を乗り越えるレッスン』であると同時に、

 

 

『肉体の違い、性別は幻想であることを思い出すためのレッスン』でもあるのです。

 

 

 

 

そういう意味では、国籍や民族、宗教の違いを乗り越えて誰かを愛そうとする人生も同じです。

 

それもまた、人種の違いや立場の違いは、すべて幻想であることを思い出すためのレッスンなのです。

 

 

 

 

もしもあなたが同性愛者ならば、同性愛者になった自分をゆるさなくてはなりません。

 

「どうして自分はこうなったのだろう……」などと悩まないでください。

 

 

あなたはただ終わっていないレッスンを受けている、ただそれだけです。

 

 

 

 

 

同性愛者を差別したり偏見をもつ人をゆるしてあげてください。

 

なぜなら、そういうことをされるのは、あなたも別の生で同性愛者を差別する側だったからです。

 

理解できないから偏見をもつ……だからあなたは今生で自分が同性愛者になって、同じ立場を経験することで多くを学ぼうとしているのです。

 

 

 

 

 

 

【心の中で戦わないこと】

 

 

偏見や差別と戦おうとしないでください。

 

戦おうとすることは、エゴの思惑通りに反応するということであり、けっしてそれは「ゆるしている」ことになりません。

 

 

相手を理解できないのは、まだそのレッスンが終わっていないだけであり、善とか悪とか、正しいとか間違いという判断を下さないでください。

 

 

差別する人たちよりも先にあなたが終わらせているレッスンもあれば、

 

あなたがまだ受けていないレッスンを、差別する側の人がすでに終わらせていることもあります。

 

 

 

どのレッスンを、どの順番で受けるのかは人それぞれ違います。

 

先に受けるか、後で受けるかの違いはあっても、結局誰もが同じレッスンを受けることになるのです。

 

 

よって差別する側、差別を受ける側、どちらの人間がより優れているかなんてことも判断できません。

 

だから相手と戦おうとせず、相手のすることを(差別や偏見を)最後にはゆるしてください。

 

 

 

どんなに悔しい思いをしても、恨んでしまったとしても、最後の最後には相手のしたことを見過ごしてください。

 

 

 

そうすることで、あなたのそのレッスンは永久に終わります。

 

 

『戦うな』という意味は、差別や偏見に対して何もリアクションするなという意味ではありません。

 

性的マイノリティの社会的な権利獲得のために具体的行動が必要だと思えば迷わず行ってください。

 

マイノリティであるあなたは自分がマイノリティだという夢を見ているにすぎませんが、

だからといって何も行動しないでいいわけではありません。

 

夢の中でも空腹になったら何か食べるように、夢の中で必要になる具体的行動は何かしらあるものですから、これは必要だなと思えるインスピレーションを受けたなら迷わず行動してください。

 

ただし、心の中で戦ったりしないことが前提です。

 

 

 

【あなたは自分が思う以上に自由です】

 

 

 

どうすればより自分らしくなれるのか……

 

どうしたら自分がより心地良く生きられるのか……

 

異性愛者だろうが、同性愛者だろうが、私たちが誰かを必要とするのは、

 

 

 

『自分の中にあるものを相手の中に見ること』であり、

 

 

『それを見せてもらい、そこから多くを学ぶこと』であり、

 

 

『それを見て、それをゆるしていく』ためです。

 

 

 

 

同性を愛することに心から喜びを感じるのなら堂々とそうしてください。

 

カミングアウトするほうが喜びを感じると思えるならぜひそうしてください。

 

でもカミングアウトしなくてはいけないわけではありません。

 

 

 

大切なことは、「自分のマインドで何を感じているか」です。

 

カミングアウトが煩わしいならしなくてもいいのです。

 

異性愛者のふりをしていたっていいのです。

 

 

大事なことは、自分のしていることに罪悪感をもたないことです。

 

 

 

周囲に言いたければ言う。

 

言いたくなければ言わない。

 

ただそれだけです。周囲に嘘をついてもいいのです。

 

 

正直に告白することが自分らしいとは限りません。

 

「こうすることが正しい」なんてものはありません。

 

 

 

あなたがマインドの中で罪悪感をもたなければ、それで良しです。

 

 

  

 

 

 

 

【本当は同性愛者ではないケース】

 

 

 

それと、同性愛を経験する人は、

 

「マインドが一つであること」、

 

「肉体は幻想であることを思い出すために生まれてきた」とお話ししましたが、

 

同じ同性愛者でも、そうではないケースもあります。

 

 

 

 

それは、過去に異性の誰かにひどく幻滅するようなことがあったり、

 

異性に性的暴行などを受けたことで異性を怖れるようになり、結果として同姓を恋愛対象にしている人のことです。

 

 

 

こういうケースの場合、同性愛者としてどう生きるかという話より、

まずは異性に対する嫌悪感や恐れを癒すことから始めなくてはなりません。

 

 

誰かへの恐れを見ないようにするために別の誰かを愛そうしても、最初にあった怖れは何かの拍子でひょっこり顔を出すものです。

 

 

異性を怖れる反動で同性を愛そうとしても、自分の中にある【怖れ】が癒されることはありません。

 

異性から逃れて同性を愛してみたら、その同性のパートナーの中に嫌悪していた異性と同じエネルギーを感じ取ってしまうこともあったりします。

 

 

 

怖れがあるなら、その怖れときちんと向き合うことです。

 

自分の怖れをしっかり見て、

 

「それは本当は恐れるに足りないものだった」と気づく必要があるのです。

 

そのうえで「やっぱり同性を愛したい」と心から思えるならそうすればいいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

【カテゴライズには要注意】

 

 

 

性別を含めたあらゆる【違い】はマインドがつくりあげた幻想です。

 

あらゆる恋愛は、人間が人間を好きになるだけであり、

 

スピリットがスピリットを愛するだけであり、

 

『神の子』が、「自分たちは一つだった」と思い出すために出会う、ただそれだけです。

 

 

性別なんて、『神』から見たら本当にどうだっていいことなのです。

 

 

 

 

ちなみに僕自身の性的指向はどうかというと、一言でいえば「何でもいい」です。笑

 

異性を好きになったりなられたりすることはもちろん、 恋愛対象として同性を好きになる経験もしました。

 

相手に魅力を感じれば、異性でも同性でもどっちでもいいと思ってます。

 

それを世間ではバイセクシャルとかクイアと呼ぶのかもしれませんが、僕自身はそんな呼び方はどうだっていいと思っています。

 

もちろん呼び方にこだわりたい人はそうすればいいと思います。

 

僕自身は、相手の国籍も年齢も(限度はありますが。笑)人種も宗教も宗派もどうでもいいです。

 

宇宙人でもかまいません。笑

 

でも、誰でもいいわけじゃなく、ちゃんと好みはあります。笑

 

 

 

何度も言いますが、私たちは肉体ではありません。 

「マインドで肉体だと信じているスピリット」です。

 

だからあれこれと人間を細分化すること、カテゴライズすることを僕自身は望みません。

「これとこれは違う」とあれこれ分類したがるのはエゴの影響です。

 

時として無理解な人に理解を深めてもらうために様々な性的指向を分類することが効果的なこともあります。

だから一概に良い悪いということは言えません。

 

 

ただ、差別する側も、差別される側も、【お互いの違い】にことさら執着するのは、

自我の影響を受けすぎている場合があります。だからよくよく注意が必要なのです。

 

 

クイアの人のように、

「自分は同性愛者ともバイセクシャルとも違う」、「自分の性的指向が自分でもわからない」という人は、

 

地球の波動、人類の波動が上昇するにつれ、確実に増えてゆくと思います。

 

 

より『本当の自分』に近づくほど、こういう人が増えていきます。

 

『本当の自分』には性別がないのに肉体の自分には性別があることへの違和感。。。

 

 

「どの性別ならしっくりくる」という観点ではなく、「どの性別も自分ではない」という感覚。

 

クイアは、自分の中に静かに流れるそういった感覚を素直に表現しようとしている人たちであり、

 

スピリットとしての自分自身に正直になろうとしている人たちです。

 

 

僕は実に素晴らしいことだと思っています。

 

 

宇宙には、地球人よりはるかに進化した知的生命体たちがいます。

 

彼らの多くは進化するにつれて性別を無くしていきます。

 

性別をつくりだすことに意味がないと気づくからです。

 

そして、種を保存するにはもっと違った方法があることを発見していくのです。

 

 

 

 

この世界のあらゆるところにある様々な【違い】は、

 

だんだん増やしてゆくものではなく、

 

私たちが霊的に進歩するにつれ、だんだんと消してゆくものなのです。

 

 

 

 

 

 

【新しい世代という教師】

 

 

 

 

幸いなことに今の時代は性的マイノリティの人にとっていくらか生きやすくなってきています。

特に変化を感じるのが、十代や二十代の人の意識が昔に比べてとても開放的になっていることです。

 

十代や二十代の性的マイノリティが、SNSなどを通じて顔写真入りで堂々とカミングアウトしていることに驚きます。

若い世代は生まれてくる時点で、古い世代に比べるとずっと“罪悪感”が少ないのです。

 

「人と違って恥ずかしい」という感覚は、

私たちのマインドの奥深くに横たわる【分離意識】であり、“罪悪感”から来ています。

 

 

一般的には若い世代は古い世代に比べて(もちろん個人差はありますが)波動が高いのです。

 

波動が高い人ほど、よりマインドは開放的になり、自分を表現することにためらいがなくなっていきます。

 

より自由になるのです。

 

 

 

これは地球がアセンションし、だんだん地球人全体の波動が上がって“軽くなっている”ことも多分に影響しているでしょうね。

 

 

古い世代は、そういった新しい世代から多くを学ぶことができます。

 

実際、若い世代が生まれてくる目的の中に「古い世代に新しい生き方を示す」ことも含まれているからです。

 

だから、古い世代にとって若い世代は「新しい生き方を教えてくれる教師」として位置づけられている側面があるのです。

 

 

「こんなに簡単でいいのか」と気づかせてくれる先生ですね。

 

 

どういう性的志向であれ、そういう自分をゆるしてゆくこと。

 

誰かがどういう性的志向であれ、そういう誰かをゆるしてゆくこと。

 

 

 

それがあなたのレッスンです。

 

 

それが私たちのレッスンです。

 

 

 

  

 

 

これは同性愛と直接関係ない余談ですが、昔、僕が恋人がいなくて寂しい思いをしているときに、

「もう誰でもいい。人間じゃなくてもいい。宇宙人でも幽霊でもいい」と口走っていたことがあります。

そうしたら、ある真夜中、家の押入れから女の浮遊霊が飛び出してきたことがあります。笑

うわーっと抱きつかれ、そのまま金縛り状態となり窒息しそうになりました。

 

「誰でもいい」などと迂闊に口走るのは要注意です。笑