ゆるせない相手と同じ立場になった時はチャンスです


 

 

ずっとゆるせなかった誰かと思いがけず同じ立場になることがあります。

 

 

つまり、ゆるせなかった相手にされたことと同じことを自分も誰かにしてしまうとか、

 

ゆるせなかった相手と同じ状況に立たされてしまうとか、

 

そういうことが人生には時々起こります。

 

 

 

 

 

「なぜそんなことができるのかわからない」

 

 

「なぜあんなことが言えるのか理解に苦しむ」

 

 

私たちは人生で何度となくこの

 

『ゆるせない相手の気持ちがわからない』という苦しみを味わいます。

 

 

 

そんな時、私たちは思いがけず相手と同じ立場になることがあり、

 

その時初めて相手の気持ちを理解し、ようやく相手をゆるせることがあります。

 

 

 

しかし、本当にゆるしが起こるためには、その出来事は実は自分のために起きたのだと認識する必要があります。

 

 

相手と同じ立場になったことは偶然だと思ってしまったり、

 

自分がしていることと、相手がしたことが、別々のこととして捉えてしまうと、

 

相手に向けていた嫌悪が自分への嫌悪に転換されるだけで、苦しみは依然残り続けてしまいます。

 

相手を責める代わりに、自分を責めるようになるだけでその体験から得るものは何もありません。

 

(もともと相手がしたことも、自分自身の隠された自己嫌悪、罪悪感がつくりだした出来事ですが、このページではややこしくなるので深く触れません)

 

 

 

 

 

一つの何かをゆるすレッスンの機会は、

 

一つの人生で無限にあるわけではありません。

 

 

一つの人生で一つのレッスンが何度かやってくることはありますが、人生という夢の中では時間という制約があるからです。

 

 

一つの人生の中で、自分に残されているすべてのレッスンを経験できるはずはなく、

 

やり残したゆるしのレッスンは、また別の生に持ち越されるだけです。

 

 

 

だからゆるせない何かが起きた時、

 

 ゆるせない誰かが現れた時、

 

自分が他の生から持ち越してきたレッスンのためにその出来事が起き、

 

やり残したレッスンのために、その相手は自分の元にやってきてくれた、

 

そう最初に認識するところからそのレッスンは始まるのです。

 

 

 

 

『今の自分の立場は、あの時の◯◯だ』

 

 

そう気づけた時はゆるしのチャンスです。

 

 

過去生で起きたことなら、過去生での相手との関係性を思い出せることはほとんどありません。

 

しかし今生で起きたことならば忘れてしまうことはないでしょう。

 

 

【いつまでもゆるせない=いつまでも忘れられない】

 

 

であることがほとんどですから忘れる心配はありません(笑)。

 

 

 

だから、「これは今生にいる間にゆるせるチャンスが来たんだな」と自覚することは可能なのです。

 

 

相手を理解できずに苦しんだあげく、

 

あなたは無意識に相手と同じ立場になることを選んだのです。

 

 

 

マインドの深いところで、

 

私たちはすべての出会いを、

 

すべての起こるタイミングを決めています。

 

 

 

肉体意識の私たちにはそれを知る由もありません。

 

無意識とはいえ、その経験を選んだのはあなた自身ですから、

 

やってきた経験を存分に活かし、そのレッスンは今回で最後にしてしまいましょう。

 

 

 

しかし、相手をゆるすために必ずしも相手と同じ立場にならなければならないわけじゃありません。

 

 

『この世界は幻想なのだから、最初から相手は何もしなかった』

 

 

そう信じられたなら、相手と同じ立場になるという経験をする必要はなかったかもしれません。

 

 

 

相手をゆるすために相手の気持ちを理解することは必ずしも必要ではないからです。

 

ゆるせないという感情は、最初に自我がつくりだしたものを自我が提示する見方で見ていることによって生まれます。

 

自我がつくるもの、自我が下す結論に意味あるものは一つもありません 。

 

 

 

この世界は自我がつくりだした夢ですから、夢はいつか消えることが定めです。

 

分離という夢の中では、相手が何を考えていたとしても、

 

あるいは何も考えてなかったとしても、

 

どちらも最初から意味はありません。

 

 

 

夢だからこそ空虚なのです。

 

仮に相手の気持ちを知ったところで、それが自分に納得いくものでないならやはり自分の苦しみは続くでしょう。

 

しかし私たちが目の前で起きていることを、

 

「何も起きていない」と確信できるまでは地道な実践を繰り返す必要があり、長い長い年月がかかります。

 

 

だからこそ私たちに出来ることは、

 

相手をゆるしたいという気持ち、

 

過去の出来事をゆるそうという意欲を根気強く持ち続けることだけなのです。

 

 

 

この意欲は相手を救ってあげるためでなく、

 

自分自身が救われるためです。

 

 

 

私たちに常に求められることは、ゆるそうという意欲のみです。

 

今自分が見えている見方と全く違う見方があるに違いないと信じる意欲です。

 

 

 

自分を傷つけた誰かを理解するために、

 

あなたが誰かを傷つけてみる必要は全くありません。

 

 

 

しかし、いつまでも相手をゆるそうとしない間は、

 

自我が起こした出来事の答えを、自我の中で探している間は、

 

ゆるしが起きることは決してなく、

 

相手と同じ立場を今生で、

 

あるいは別の生で経験するまでそのレッスンは残り続けてしまいます。

 

 

 

 

そうやって私たちは何度も何度も同じことを繰り返してきたのです。

 

ゆるせない誰かと同じ立場になった時、

 

自分のためにつくられたその機会にめいいっぱい感謝してください。

 

 

 

 

決してうろたえず、

 

自分を責めたりもせず、

 

一人でどうにかしようともせず、

 

 

聖霊(ハイヤーセルフ)があなたと共に見て、あなたと共に対処してくれることをまずは信じてください。

 

 

 

信じることは聖霊を受け入れる最初の手続きです。

 

 

 

誠実に事に対処してください。

 

 

あなたが、あの日あの時、ゆるせなかった誰かにしてほしかったことをしてください。

 

 

それは誠実に謝ることかもしれません。

 

 

温かい言葉をかけたり、丁寧に対応することかもしれません。

 

 

あなたが、あの時してほしかったことを、あなた自身がしてあげてください。

 

 

 

 

逃げないでください。

 

 

聖霊が共に行ってくれると信じてくれたら、それ以上おかしな事態にはなりませんから安心してください。

 

 

 

 

 

その時、あなたの心に奇跡が起こります。

 

ゆるせなかった誰かと、

 

そのゆるせなかった誰かと同じことをした自分自身を同時に赦せる瞬間が来ます。

 

 

 

あなたが苦しみの一つから解放される瞬間です。

 

 

偉大な癒しの瞬間です。

 

 

その瞬間は、誰かをゆるすことと自分自身をゆるすことは全く同じことと理解できる瞬間です。

 

 

 

 

あなたが与えた愛を、あなた自身が受けとることができる素晴らしい瞬間なのです。