ゲストさんから頂いた質問にお答えしています
【Q】
いじめの記事読まさせていただきました。府に落ちるところもありましたが疑問も湧いてきました。
いじめた相手と自分がイコールで共鳴しあっているとすれば殺される側と殺す側もまた同じものをもっているのでしょうか?
幼い子供と犯人に共通点があるのでしょうか?
何が原因で殺されなければならなかったのでしょうか?
事件に巻き込まれる理由はスピリチュアル的にどのような意味があるのでしょうか?
自分を愛していたらそのような事件に巻き込まれなくなるのでしょうか?
【A】
あなたが疑問に思われた部分は、
この世界で生きる私たちにとって最も受け入れたくない部分、最も信じたくない部分です。
僕自身も受け入れるのに何年もかかり、一番書くことを躊躇する部分です。
この部分はスピリチュアルな知識を学んでいる人たちですら大部分が受け入れられない概念です。
だからできるだけ過激にならないように、
マインドに潜むエゴを刺激しないように、
子供時代のイジメを例にとったり、
【誰かをゆるすプロセス】や、【両親はあなたがつくりあげた『神』です】
などで、ちょっとトーンを抑え気味に説明してきました。
ですが、僕自身があらためて確信するためでもあるので再度一から説明してみます。
↓
私たちが自分を無条件で愛せないのはマインドの中に罪悪感が眠っているからです。
この罪悪感は私たちが『神』から分離して自分の世界をつくってしまったという誤解によって生まれました。
(本当は何もつくっていないのですが…)
この罪悪感がマインドにわずかでも残っていると、自分自身を100%愛することは不可能です。
なぜなら愛と罪悪感は共存できないからです。
マインドは身体の中にはありません。
身体の外側、この世界の外側にあります。
個別のマインドというものも存在しません。
この世界の外側に、
たった一つだけマインドがあり、
その一つしかないマインドの中に、『神』から分離して宇宙で生き続けているという夢を見ている部分があります。
個別に違いを持つ ❝バラバラの個性❞ の中で生きていると信じている部分です。
このマインドの一部分を、自我と呼んだり、エゴと呼んだり、低次の意識と呼んだり、フィジカルマインド(自分を肉体と信じている部分)と呼んだりしています。
この世界は、そのフィジカルマインドの中身が投影された世界です。
違う言い方をするとこんな感じです。
私たち『神の子』が『神』によって創造されたとき、
(キリスト教徒はイエスだけが神の子と捉えていますが、ここではすべての生命が神の子として説明しています)
『神』からの分離を疑った『神の子』は、マインドの中に【自我(フィジカルマインド)】という名の箱を作りました。
それは決して『神』が創造しなかった箱です。
全一なる存在は、分離するという概念は持たないからです。
その箱の中身がエイッとぶちまけられた世界…
それがこの宇宙全体です。
なぜ私たちは箱をぶちまける必要があったのか……
それは、
「箱の中にあるものは自分のものではない」
とするためです。
【自我】という箱の中には見たことのない恐ろしいものがたくさん入っていました。
死、病気、怒り、憎悪、対立、暴力、孤独、嫉妬、優越感、劣等感、など肉体の私たちがネガティブと呼んでいるすべてです。
『神』しか知らない私たちが、
『神』が創造したものしか知らなかった私たちが、『神』の中にないものをつくったと信じてしまいました。
この恐ろしい箱を自分の中に置いておきたくない……
だから箱の中身を捨てるために、
それまで存在しなかった【自分の外側】をつくりだしたのです。
自分の中にあるものを捨てるためには、自分以外の何かが必要です。
例えるなら、自分自身を一軒の家だと考えて、見たくないものは家の外に捨ててしまえばいいと考えたわけです。
そうすれば家の中は(自分のマインドは)安全に守られると信じたのです。
自分は肉体という家の中に居て、外側の世界を見ている……
私たちが日々見ているこの世界は、
私たちのマインドが投影した【外側】なのです。
あなたや僕がこの世界で見ている恐ろしいものたちは、
箱に入っていたものたちの象徴です。
常に肉体という一軒の家の中に【自己】がある。
その家の外に世界があり、他人という【自分とは違う自己】がある。
そう信じています。
誰かが誰かに殺される。
理由や原理は基本的にイジメと同じです。
加害者と被害者はお互いに引き寄せあっています。
これは箱の中に入っていたものの一つなのです。
箱に入っていたものの象徴なのです。
あなたや僕が見ているものはすべてが象徴で、すべてが実体を伴わないバーチャルリアリティのようなものです。
そして、一つ一つにそれが起きた理由はあるものの、一つ一つに違った意味が隠されているわけではありません。
みんな同じところに原因があります。同じ箱から出てきたものです。
いつだって、それが何であれ、私たちは自分のマインドの中を見つめているのです。
恐らくあなたはマインド(心)というものが、各々の肉体の中に一つずつ存在しているとイメージしているのかもしれません。
あるいはマインドは肉体の外側にあるらしいけれど、この世界の外側で一つ一つが分離したマインドがあるようにイメージしているのかもしれません。
そして、引き寄せあうという言葉は少々誤解を生みます。
この言葉を使うと、この世に生まれてきた後で、意識的であれ無意識であれ、お互いに引き寄せあったようなイメージを抱いてしまうかもしれません。
だから「殺される幼い子がどうして加害者を引き寄せるの?」と思ってしまうのです。
そのようにイメージしてしまっている間は、理解するのが困難になってしまいます。
例えば、こんなふうにイメージしてみてください。
巨大な海があるとします。これはマインドという海です。
海は太平洋とか大西洋とか日本海とか、いろいろな名前がついてはいますが皆一つの大海ですよね。
それぞれの海は実際に分かれて存在しているわけではなく、お互いが同じ海水で繋がった一つの海です。
その海水の中の一滴があなただと仮定します。
その一滴の海水はほんのちっぽけな存在のように見えますが、世界全体の海と同じ成分でできています。
その一滴は海全体の一部分ですが、同時に、海全体の情報を持った海そのものともいえます。
あなただけでなく、僕もそのうちの一滴です。
そして、そのうちの一滴に「自分は殺人者だ」と信じて、夢の世界に【加害者としての肉体の自分】を投影する一滴があります。
同じように別の一滴は「自分は被害者だ」と信じて、夢の世界に【被害者としての肉体の自分】を投影する一滴があります。
そして、その殺人劇を見ることになる身近な人間だと信じる一滴があり、
その殺人劇を報道で知るあなたや僕といった一滴があるのです。
すべては同じ場所からつくりだされている夢です。
すべては繋がったものの中からつくりだされた悲劇なのです。
肉体のうえでは原因や責任は加害者だけです。
でもマインドの中では加害者も被害者も第三者も、みんな一緒に一つの悲劇をつくりだす共同創作者なのです。
みんなで、過去世、現世、来世、並行世、などでそれぞれの役割を交代しながら繰り返してしまっているのです。
肉体は幻想です。実に細密に投影されたバーチャルリアリティです。
幼い子供はこの世界では幼い子供ですが、
本当は子供ではなく、男でも女でもなく、ましてや人間でもありません。
形を持たないスピリットであり、マインドです。
巨大なマインドという海の中の一滴です。
加害者と被害者と傍観者はそれぞれ同じ一つの存在として、【自我の箱】の中にあったものを夢の中で具現化しているのです。
幼い子供が殺される。
これも箱の中の象徴の一つです。
幼い子供を私たちは【本来の自分】の象徴、無意識にハイヤーセルフの象徴として見ています。
子供のように自由でいたい。
子供のように純粋なままでいたい。
子供のように老いや病と無縁でいたい。
私たちがそう願うのは、子供というイメージが本来の自分のイメージに近いせいなのです。
ある日突然、純真無垢な存在が殺される…
罪なき存在が、突然この世から消されてしまう……
あなたがそういう事件を知って心が痛むのは、
子供と【本来の自分】をだぶらせて、【本来の自分】が殺されるように感じてしまうからです。
犯人のマインドは犯人の肉体の中にあると思ってしまうと、事件の原因は犯人の中だけにあると考えてしまいます。
幼い子供の肉体にその子のマインドがあるとイメージすると絶対に理解不能に陥ってしまいます。
こういう悲劇を終わらせるには、
その原因を完全に打ち消すしかありません。
悲劇を生み出す原因はマインドにあること。
『神』は分離するものは一つも創造しなかった存在であるがゆえに、『神の子』のマインドは一つであること。
そして『神の子』のマインドは『神』と今も一体であること。
そして、『神』は【自我の箱】はつくらなかったために、その箱の中身は実在していない夢であること。
あなたが、
私たち一人ひとりが、この真実を完全に悟るとき、それが原因が消える時です。