過去にあなたを傷つけた人を『本当にゆるせたのかどうか』、それを確かめる簡単な方法があります。
たった今、再び目の前に同じ相手が現れるとイメージしてみてください。
そして過去とまったく同じことをされたり、過去とまったく同じことを言われたなら、
どんな気持ちになるでしょうか?
できるだけ具体的にイメージしてください。
怖れずにしっかりとイメージすることが大切です。
そのとき、ちょっとでも「怖い」と感じたり、
ほんのわずかでも相手に「嫌な感情」が湧いたなら、
あなたはまだその人をゆるせていません。
過去に誰かに何かをした『自分をゆるせたのかどうか』、その判断はもっと簡単です。
自分がしたことと同じことをした人を見たとき、
自分の中にどんな感情が湧いてくるか、注意深く観察するのです。
先ほどと同様に、ちょっとでも「嫌な感情」が湧いてきたのなら、やっぱりまだ自分のことをゆるせてはいないでしょう。
僕の場合は、
自分をいじめた人たちと再会したと想像し、
彼らが謝るどころか再度同じことを言ってきたり、やってきたりしたとイメージしてみたのですが、
やはり彼らに対して当時と同じような嫌悪感が湧いてきました。
これは「ゆるさなくてはいけない」と思いました。
結局、苦しみつづけるのは自分自身だからです。
これは、今まで誰のことも傷つけたことがないと思っている人も同様です。
なぜなら、相手に対して嫌悪感を覚えるのは、かつて同じことをした自分自身がいるからです。
過去にしたことを自分が忘れている場合もありますし、
過去世などで相手と同じことをした経験があるために無意識に相手を嫌悪してしまいます。
自分の中に存在するものを相手の中に見ているのです。
この物理世界は幻想です。
本当は誰も何もしていません。
マインドがつくった夢の中で、「あーでもないこーでもない」と葛藤しているだけです。
でも、それを聞いて「あー、なんだ。そうか」と簡単に納得できるほど私たちは単純にできていません。
幻想だと聞いて、簡単に相手のしたことを、自分のしたことを、忘れることはできません。
ならば、自分が見ている現実をマインドがつくっているわけですから、
【まだゆるされていない現実】と【まだゆるしていない現実】をつくるのをやめて、
【すでにゆるされた現実】と【すでにゆるした現実】にマインドの中をつくり変えるしかありません。
ここからは僕には有効でしたが、誰にでも効果があるとはいえません。
でも、何かのヒントになるかもしれないので書いておきます。
一人になれる場所、静かな場所で、ゆったりと腰を下ろして大きく深呼吸します。
気持ちが落ち着くのを待って、そっと目を閉じます。
真っ白な世界があるとイメージします。
真っ白な光の世界です。その白い光がどこまでもどこまでも続く世界です。
その真っ白い光の中に、僕は一人で立っているとイメージしました。
視線の先に誰かが立っているのがぼんやりと見えます。
その人のほうにゆっくりと歩いていきます。
A君が一人で立っています。
A君の顔を見ると、笑っているわけでもなく、怒っているわけでもありません。
子供のときのままにも見えます。すっかり年を取ったようにも見えます。
僕はA君に謝ります。
「あのときはごめん」
彼は何も言いません。
もう一度、言ってみます。
「本当にごめんなさい」
しばらくすると彼はぶっきらぼうに言いました。
「わかった」
僕は彼の顔をじっと見ます。
彼はもう一度言います。
「わかった。もういい」
そこへ何人かの人たちがこちらに向かって歩いてきます。
かつて僕をいじめた人たちです。
彼らもA君同様に、子供のままにも見え、すっかり老けたようにも見えます。
彼らは何も言いません。
笑っているわけでもなく、嫌な顔をしているわけでもありません。
ただ黙って僕の顔をじっと見ています。
僕はこう言ってみます。
「もういいよ。ぜんぶ夢だから」
すると彼らの顔が少しゆるんだように見えます。
僕と、
僕がいじめたA君と、
僕をいじめた人たちが、
口々にこう言います。
「そっか、夢なのか」
「そうだよ。夢なんだよ」
「なんだ、夢なのかぁ」
「そうだよ。そうなんだよ」
「だからぜんぶゆるそう」
するとまた誰かがこちらに歩いてきます。
何人も歩いてきます。
僕が大人になってから憎んでしまった人がいます。
僕が好きだった人もいます。
死んでしまった懐かしい人もいます。
その人たちの顔を見ます。
みんなの顔が、美しい光に包まれて輝いています。
同級生たちの顔も美しく光り輝いています。
そのとき、遠くから僕らに向かって声が聞こえてきます。
『帰っておいで』
その声は、暖かくもあり懐かしくも感じる声です。
父親のようで父親ではなく、
母親のようで母親ではありません。
その声はだんだん大きくなります。
その声はくり返しこう言います。
『帰っておいで。一人残らず帰っておいで』
みんなの顔が、顔だけでなく、それぞれの身体ぜんぶが光り輝き始めます。
気づくと僕の身体も光り輝いています。
みんなの光が、
みんなの輝きが、
どんどんどんどん増してゆくのです。
光が増して、お互いが誰が誰だかわからなくなっていきます。
でも見えなくても、みんなの顔がとても安らいでいることだけは感じられるのです。
僕たちはみんな『光』の中に溶けてゆきました。
僕は、これをイメージしながら涙があふれてきました。
こうやって僕はいじめた自分自身をゆるし、僕をいじめた人たちをゆるしたのです。
実際に涙があふれてくるくらい、この光景をありありとイメージしたのです。
こうやって、自分で自分を救ったのです。
本当に自分の感情が180度逆転するまでしっかりとイメージすることが大切です。
自分のマインドの中にあるものが、自分の見ている現実をつくりだしています。
マインドの状態が自分の人生に反映されていきます。
僕の場合、マインドの中で彼らと「ゆるしあい」ました。
これが僕の見ている世界に何らかの形で反映されていきます。
たとえばもし僕がA君と再会することがあったとしたら、そのとき僕は謝るでしょう。
そして僕のイメージ通りに彼はゆるしてくれるかもしれません。
あるいはイメージのようにはいかずに「ゆるさない」と言われるかもしれません。
でも僕からしたら、彼がどっちの態度をとったとしても問題ありません。
なぜなら、すでに僕は当時の出来事を『ゆるしている』からです。
だから、もし彼に「ゆるさない」と言われても、黙ってうなずくだけです。
再び自分を責めることはしません。
自分を恥じることもしません。
かといって彼の気持ちを無視するわけでもありません。
彼がどういう態度をとっても何もネガティブな感情は湧いてこないでしょう。
ただ黙ってそれを受け入れるだけです。
同様に、僕をいじめた人と再会して、彼らが昔と同じ態度をとったとしても平気です。
別にガマンするわけでもなく、反発するわけでもなく、ちょっぴり笑ってその場をあとにするだけです。
だって幻想ですから。
彼らに対しての僕の感情はすでに逆転していますから。
彼らがどういう態度をとったとしても、僕は「懐かしいな」くらいしか感じないでしょう。
いじめに限らず、いろんな人をゆるして、いろんな過去の自分をゆるしていくと、
【二度と会いたくない人】がいなくなります。
むしろ、過去にいろんなことがあった人ほど会いたくなってきます。
僕は【いじめ】は間違っていると思っています。
目の前にいじめている人がいたら、「やめるべき」と言うかもしれません。
でも今の僕は、その人に対して特別な感情は湧いてこないです。
ニュースを見ても、
いじめる側、いじめられる側、どちらも本質的には同じように見えてしまいます。
どちらも「自分を愛せない」と叫んでいるように見えます。
どちらも助けを求めているように見えます。
僕が書いた【ゆるしの方法】は、誰にでも理解できるものではありません。
① あくまでも自分と他人は分離していると思いたい人
② あくまでも自分が体験しているものは夢ではなく現実と信じたい人
③ 自分の体験の一部は自分がつくったかもしれないけど、大半は自分以外の何者かがつくっていると思いたい人
④ 自分の現実は「偶然の重なり合い」によってつくられていると信じたい人
こういう人には、僕のやり方は到底理解できないでしょう。
自分の見ているものが「幻想」だと、いつか自然に信じられるようになることはありません。
残念ながらそれは絶対にありません。
これは、真実を見ようとする【強い意志】があるかどうかの問題です。
他人を、自分自身を、本気でゆるそうとする【決意】の問題です。
マインドは間違いをします。
でも間違っていたなら、修正すればいいだけです。
マインドは間違いをすることはありますが、修正不可能な間違いをすることは絶対にありません。
だって私たちのマインドは『神』がつくったマインドですから。
『神』はけっして欠陥品は創らないのです。
カーナビで行き先を間違えて設定したら、もう一度正しい行き先を設定し直せばいいだけです。
自分であれ、相手であれ、「絶対にゆるそう」という気持ちがあるかどうかです。
そうしないことには【苦しみの連鎖】は止められないのです。
【ゆるせない状態】は『本当の自分』にはない感情です。
『本当の自分』と「肉体の自分」とのズレがもたらすものは【苦しみや痛み】しかないのです。
次回は、
『いじめている人、かつていじめたことがある人』、
『いじめられる人、かつていじめられた人』、
それぞれの人に向けて、別々にメッセージを書きます。